朝起きたら、頭に耳が生えてた。
おかーさんは「可愛いじゃない」とか、他人事みたいに言うけど。
ちょっとこれは…あたしの美的センスには反しちゃうなあ。可愛すぎ。
そもそもこれで面とか、つけられるのかな…
おっとと、朝練に急がなくちゃ。

「いってきまーす」
そう言って自転車を漕ぎ出すあたし。
耳押さえながらだと危ないから放りっぱなしだけど…
コレ、他の人の目にはどう映っているのかな?
ジョギング中のおじさんの顔を見る。…その視線の先は、やっぱりコレ。
お店のシャッターを開ける知り合いのおばさんに挨拶。…でもその視線の先は、やっぱりコレ。
なんか通りを行くねこにまで見られてる気がする…

(むー、なんでこんなの生えてきたのかな?)
ちょっと迷惑かも。なんて思うと天罰か、
勢いよく進んでた自転車は赤信号でストップ。
ああやだな、この信号長いんだよねえ…とか考えてると、
横に止まった車の窓が開き、よく聞き覚えのある声がする。

「おーい、キリノ?おはようさん」
「…!!こ、コジロー先生?」
あわててハンドルを離し、両耳を押さえるあたし。
先生は気付いたのかどうなのか良く分からない様子で、
「…なんで頭抑えてるの?」
なんてのたまう。そのうちに歩道の信号が赤に変わり、いけね、と前に視線を戻すと。
「んじゃっ、また道場でなー」
そう言い残して、大きなエンジン音と共に走り去ってしまった。
「まったく…」
何に対して全く、なのかはちっとも分からないけど、呟かずにはいられなかった。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


「おはようございまーす…」
いつもよりもずっと小さな声で挨拶し、
物陰から窺いでもするかのように静かに道場の扉を開けると。
やはり、いつものように先生が正座して黙祷をしている。
気付かれないように、そーっと更衣室の方に移動し始めると、ぽつり。
「やっぱり、なんで頭抑えてるんだ?」
「こ、こここれは、その」
まったく、変な所だけ敏いんだから、イヤになる。
「…き、着替えてきますっ!」
あわてて更衣室に駆け込むと、これはもうタダでは出られない。

(何とかしなきゃ…なんとか…)
そうは言っても、とるべき解決策はもう、ひとつしかない。

さて、その次善とも言い難い最悪の解決策の効果は。
「…??い!?お前朝っぱらからフル装備かよ!?」
…やっぱり笑われた。まあ、しょうがないでしょ。
あんなの見られるよりは、ずっといいよ。

”ツノだツノ、いや、触角か?”
”なんかの…魔方陣みたいになってるぞ”

思い出すだけで身震いがする。
あー、まさか自分がそんななっちゃうなんて…
でもとにかく、この場をしのぐには…練習あるのみっ!
「いいから先生っ、引き立て稽古しましょうっ!それそれ!」
「痛え痛え!だからまだ防具つけてねーって!」
そして、どんどん打ち込むあたしに半切れした先生が
「いー加減に…しろっ」
ぺちん、とあたしの面を小突いた。
とりあえず、ただそれだけの事だった。

「あたたたた…」
痛い。ほんとうに痛い。
面越しに折り畳まれた耳の部分に丁度入った竹刀は激痛をもたらし、
あたしは立ってさえ居られない。
(感覚…ちゃんとあるんだ…ヘンなの…)
何か微妙に間違った思考を巡らせてると、心配そうに見てる先生。
「お、おい大丈夫か?そんなに強く叩いたつもりは無かったけど…」
大丈夫大丈夫…でもないかな。うーん、やっぱり、痛い。
そうして逡巡してる内に一番マズい方向に話を進める先生。
「面、とれるか?ちょっと見てみなきゃ…」
「いえいえいいっすよー」
なんとか空元気で返してみるも、先生の勢いに油をそそぐだけ。
「ダメだ。たんこぶとかならまだいいけど、内出血とかしてたらどうすんだ…取るぞ」
そういって右手でしゅるっ、と面のヒモを外すと、被り物が外れ…
頭を覆う汗取りを外されると、あたしの頭の上で耳がぴょこん、とふたつ、跳ねた。

「………!?」
ハトが豆鉄砲でも食らったような顔でそれを見つめる先生。
ああもういいよ、いくらでも笑ってください――――
でも、そこからの先生の反応は、意外なものだった。

「かっ、かわ…」

そう言いかけた言葉をゲホッゲホッ、と嘘の咳で誤魔化す先生。

(………なるほど、猫耳、ですか)
キリノートに書き加えなければならない事項がまたひとつ。
そんな場違いな事を思っていると、言いかけた言葉に照れ、顔を少し赤らめる先生。
「…なんでそんな物ついてんの?」
「朝、急に生えてきたんすよ」
またもハトが豆鉄砲を食らったような顔をし、ふうむ、と少し考え込むと。
「病気とかではないんだな?」
「熱とかも無いし…大丈夫じゃないっすか?」
気を使ってくれるのが、うれしい。
でも、本当にしたい話は、そうじゃない。あたしが、本当にしたい話は―――――

「でも、先生が可愛いって言ってくれるなら、このままでもいいっすけどね」
カマかけ返し。先生の頬が再び朱に染まる。可愛い。
「う…だけど、面打たれる度にそんな痛がってたんじゃ、試合にならんだろう」
確かに、それはそうなんだけども。
「じゃあ、打たれないくらいに強くしてくださいっす!」
「無茶を言うなあああああ!」

道場に、その先生の悲鳴に混じって…ねこの笑い声が響いたような気がした。


【終】
最終更新:2008年06月29日 19:59