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道場の雰囲気が妙です。

こんにちは、東聡莉です。ただいま剣道場の隅っこで素振りとかしてます。
えーと、この間から微妙に部内の雰囲気が変なことになってます。具体的に言うとこの間の大会から、ですけれど。
その原因となっているのは部ナンバー1とナンバー2の二人…はい、タマちゃんとユージくんです。
もうちょっと的確に言うと、原因なのはユージくんであり、そのせいでタマちゃんの様子が変なのです。他のみんなは二人の妙な空気にあてられてなんだかそわそわしています。
あ、またタマちゃんがユージくんを見てます。なんだか怒ってるような不貞腐れてるような恨みがましいような、なんともタマちゃんらしくない表情ですね。
しかしユージくん、気付いてません。素振りをしてますけど、心ここにあらずといった感じです。これもユージくんらしからぬ態度ですね。
おっと、気付いてもらえないことに業を煮やしたんでしょうか、タマちゃんがユージくんに近づいて行きました。

「…ユージくん、さっきから集中できてないよ?」
「……………………へっ? あ、そ、そうかな?」

話しかけられるまでタマちゃんの存在に気付いてなかったんでしょうかユージくん。びっくりしてます。
…またタマちゃんの表情が険しくなりました。ご機嫌斜め45度です。ほっぺた膨らんでます。
ユージくんは素振りを再開しましたが、すぐにまた心をどこかへ飛ばしてしまったようです。視線が宙に浮いてます。

さて、こうなった原因ですが、無論心当たりはあります。というか多分、みんな気付いてると思います。気付いてないのはユージくんだけですきっと。
この間の大会で、私たちは榊心という女子剣道家の強さを目の当たりにしました。
ええ、そりゃもう強かったです。みんな驚きつつも感心していました。
ですが一人、ユージくんだけが、他のみんなとは違う反応を見せていたのです。
一言で言うと…榊さんを見る目が、輝いていました。
…はい、すぐにみんなぴんと来ました。どうやらユージくんはああいうタイプの女の人が好みだったようです。
同時にみんな、背筋を凍らせました。タマちゃんの様子に、です。
一言で言うと…ユージくんを見る目が、人斬りのそれになっていました。
まあ、無理もありません。なにしろあのユージくんが、女の人に興味を示したんです。先生なんて「ようやくあいつが男子高校生に見えた」なんて述懐していたほどですから。

あれ以来、ユージくんの様子が目に見えておかしくなりました。そしてそれ以上に、タマちゃんの様子もおかしくなりました。
ユージくんはぼーっとすることが多くなったし、タマちゃんはそんなユージくんを見て明らかにフラストレーションを募らせているようなんです。
それまでは室江剣道部が誇るほのぼの兄妹として評判だった二人がそんな感じなので、自然周囲も気を遣ってしまいます。よく見ると二人から距離を取っているのは私だけではありませんでした。

「キ、キリノぉ、タマちゃんが怖いよう」
「あたしだって怖いよ~。先生、なんとかしてくださいよ」
「…そう言ってこの間俺を生贄にさし出したことはもう忘れやがったかお前ら」
「あれは凄かったですね。あそこまで一方的に相手を痛めつけるタマちゃんははじめて見ました」
「なんか変なモノでも乗り移ってたんじゃないかー?」

乗り移っていたんだとしたらもずくが好きなあの人でしょうね。あるいはどこかの切り裂き魔さんでしょうか。
ともあれ人斬りモードに突入したタマちゃんに物申すことのできる人材は、一人を除いてこの部にはいません。私? 命は惜しいです、残念ながら。
そしてその唯一の人材、つまり人斬りタマちゃんを御することができるはずのユージくんが他ならぬ原因になっているのですから、最早打つ手なしです。お手上げです。
私たちに出来ることと言えば、二人を(というかタマちゃんを)刺激しないよう道場の隅っこで小さく纏まっているだけです。
あ、またタマちゃんがユージくんに近づいていきます。

「…ユージくん、今度の休みヒマ?」
「…………へ? あ、今度の休み? いや、ちょっと用事が…」

タマちゃんの身体から見えざるオーラが出てきたような気がします。あれが俗に言う剣気でしょうか。それとも殺気でしょうか。
どっちでも同じかもしれませんね、この際。

「ユージくん、天気いいね」
「うん、いいね」

もう話題に関してはどうでもいいんでしょうか、タマちゃんの言葉に、しかしユージくんは完全に上の空な様子で相槌を打ってます。
タマちゃんのオーラが膨れ上がりました。

「ユージくん、今度勉強教えてね」
「うん、そうだね」
「ユージくん、帰りに買い物行くから付き合ってね」
「うん、そうだね」
「ユージくん、また送り迎えしてね。特に理由はないけど」
「うん、そうだね」
「ユージくん、今度一緒にお母さんのお墓参りに行こうね」
「うん、そうだね」
「ユージくん、また昔みたいに一緒にお風呂入ろうね」
「うん、そうだね」
「ユージくん、その後は一緒に寝ようね」
「うん、そうだね」
「ユージくん、年上の大人っぽい女の人と、妹みたいな女の子と、どっちが好き?」
「うん、そうだね」

道場の室温がどんどん低下していきます。今日はラ・ルプトゥラの日でしたっけ?
タマちゃんの小さい(はずの)体から放たれているオーラは最早肉眼での目視が可能なレベルに至っています。あ、桑原先輩が倒れました。
しかし凄いのはユージくんです。それほどの魔力に目前で晒されていながら、眉の一つも動かしません。恐るべき回避力です。あるいは鈍感さです。本当に生身の人間でしょうか。

「…ユージくん、榊さんのこと考えてる?」

おっと、流石にタマちゃんも痺れを切らしたようです。直球で行きました。ダイレクトアタックですね、わかります。

「え? ああ、うん。よくわかったねタマちゃん」

…ユージくん、ものの見事に地雷を踏み抜きました。
案の定、タマちゃんの目が光ります。どす黒く。

「ふーん。…榊さん、強かったね」
「うん、本当に強かったよね榊さん。強い人っていいなあ、やっぱり」
「ふーーん。…榊さん、美人だったね」
「うん、美人だったよね榊さん。なんていうか、昔ながらの大和撫子っていう感じで」
「ふーーーん。…榊さん、大人っぽかったね」
「うん、大人っぽかったね榊さん。落ち着いてるっていうかなんていうか、頼りがいのある人だったね」
「ふーーーーん。…ユージくん、ああいう人が好きなの?」
「うーん…そうかもしれないなあ。剣道が強くて、美人で、大人っぽくて。うん、俺の理想ってああいう人なのかも」
「ふーーーーーん…」

宮崎さんは既にダンくんを抱えて逐電しています。キリノ先輩と先生も桑原先輩を道場の外へと運び出そうとしているところでした。
さて、私もそろそろ逃げ出そうかと思います。繰り返しますが、命は惜しいんです。
さっきからタマちゃんの竹刀を握る手にこれでもかというほど力が込められています。下手すると柄が折れそうです。握り潰そうとしているのかもしれませんけれど。
ユージくんの顔は活き活きとしていました。そんなに榊さんのことを話すのが楽しいんでしょうか。あんなに充実しているような表情を見るのはもしかしたら初めてかもしれません。
対照的に、タマちゃんの顔からは表情が抜け落ちていました。あんなに寒々しい顔を見るのはもしかしなくても初めてです。

「…ユージくん、稽古しようか」
「え? あ、うん。いいよ」

刑の執行を告げる声が聞こえたところで、私は道場の窓から外へと脱出を図っていました。振り返りません。若さってそういうものだと昔の人も言っていました。
というわけで、その後どうなったのか、私は関知していません。ご想像にお任せします。

…とりあえず。
ユージくんの好みから判断すれば、タマちゃんよりは私の方が有利なようです。