夜がもう完全にその帳を降ろした、丑三つの時。
惣菜ちばの2階には、薄い明かりが灯っている。
部屋の主であるキリノは、試験に備えての勉強に余念が無く―――という訳でもなさそうだ。
机の上には先程まで勉強していたと分かる教材が散らかされ、
机に向かう少女は、一心不乱にその動作に身を任せている。


「ふぅっ………んぅ………」


スタンドだけの薄暗い部屋に、低い呻き声が伝わる。
右手に握るペンを使い、脳内を満たす空想―――妄想を。
さらに脳内で次々と具体的なかたちに仕上げながら…
普段とは異なるペンの使い方で、時に拙速に、時に巧遅に。
そのリズムに合わせてキリノのキャンバスは彩られてゆく。


「せ、せんせってば………は、恥ずかし…………」


その、奇妙な行為に勤しみながら。
脳裏に焼き付く先生の姿を考えると、胸が切なくなる。
そのまま、ひとしきり指の―――手の動きが激しくなると。


「…………ん……っ…!」


行為がどうやら山を向かえ、
キリノがその身体を支配していた緊張から解放されると…
足のつま先までも弛緩し切った身体は、机を前にやや前のめりになる。

体から分泌される液体でヌルヌルになってしまったペンを机に置くと、
しなくてもいい深い溜息がつい、口をつく。


(―――――また、やっちゃった…)


達成感と充実感、そして背徳感と脱力感。
そういう物が大挙して身体を駆け抜け、
やがて後から遅れてやって来る―――激しい後悔。


「……馬鹿だなあ、あたし……」


我ながら、飽きもせずに毎晩毎晩何度も何度も…
だけどどうしてもやめられない。自分の中に沸く衝動を――――とどめる事ができない。
もし先生が、自分がこんな事をしているのを知れば…どんな顔をするだろう?
実行してみない限り答えの出るはずの無い疑問に無駄な徒労を感じ…
そのままぐったりと机に身体を預けると。
机の上にある、先程まで己のリビドーをぶつけていた一冊の本に目をやる。

キリノート。
その中には、夥しい量のキリノの――――
先生とこうなりたい、こうありたい、という願いが切々と綴られている。
今晩の妄想は、夏祭りの話。その前には、悲しい別れと幸せな再会の話、というように。

書いた当時の自分の気持ちに思いを馳せつつ、ぱらぱらとページをめくると…
時にその内容は過激さを増し、別ページに隔離せざるを得なかった物まである。
そのページの頭には、リンゴのしるし。


(―――――明日は、どんなのが降りて来るんだろう?)


そう思いながらノートを閉じると、電気を消し、布団の中へ。
そして今度は、書き表した妄想を反芻しつつ――――


――――キリノの夜は、まだ、もう少しの間だけ、終わらない。



終わり
最終更新:2008年06月16日 21:45