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――――――暑い。いや、これはもう…熱い。
道場の中に蜃気楼が見えた時は流石のコジローも我が目を疑ったが。
とにかくこのうだるような暑さの中でも、練習がお昼までの半休日であっても…
部活動とは清く、正しく、楽しく、そして恙無く。
……行われなければ、なら、な…い…

「…だあぁぁぁっ!!暑いもんは暑い!大人も子供も関係あるかちくしょうめ!」

「なぁユージ、コジロー先生がまたおもしろいぞ」
「いやぁ…暑いからねえ…俺も、さすがに…」

道場の片隅で大の字になり、ひたすら暑いとわめく教師を指差し揶揄しながら、
肩にかけた汗まみれの手ぬぐいをいじって談笑するユージとダン。
女子は…レディーファーストという事で、一足先にシャワーの真っ最中。
キャッキャッと黄色い声がシャワー室の扉の向こうから聞こえて来る。

「…ねえ、ダンくん…俺たちって…」
「……言うな…ユージぃ」
「あづいあづいあづいあづいあづ(ry」

三者三様に、じっとしていても滴り落ちる汗、及びその他諸々の事情とそれぞれに格闘していると。
徐々にシャワー室の声が女子更衣室の方へ移行したようだ。…もうすぐ。
まだかまだかと外で待つ三人に、かちゃり、と軽い音がして女子更衣室の扉が開く。

「お待たせー、ごめんねー長くなっちゃって」
「遅せぇよキリノ!待ち草臥れただろうがっ!」
「いやーだって汗いっぱいかいちゃったしー」

キリノの言い訳を華麗にスルーして、シャワー室に飛び込むコジロー。
それに続くユージとダン。

「おらおらっ、流すぜ流すぜー!」
「つ、つめたっ!ちょっ、水止めて下さいよセンセっ!」
「じぇっとうぉっしゃあぁぁ~~」
「冷てぇっ!てめえダン何しやがる!」
「(ええー…)」

ぎゃあぎゃあとさわがしいシャワー室の喧騒をよそに、外では帰り支度を整える女子5人組。
とはいえもちろん、ミヤミヤはダンを待ち、タマはユージを待つ……そして、キリノも。

「あれ?どしたのキリノー、帰らないの?」
「あ~今日ちょっとセンセーに用事があって」
「ふーん…じゃあ、また明日ね!」

そう言って、先に帰って行くサヤとサトリに手を振りながら、男衆が出て来るのを待つ三人。
ミヤミヤ・タマ・キリノ、という普段はあまり見ない、珍しい取り合わせではあるが…
やはりキリノを中心に、会話は弾む。そのたけなわ。

「ねーミヤミヤにタマちゃん、そういえば浴衣って着た事ある~?」

不意のキリノの問い掛けに、ミヤミヤは訝しげな目を向け、タマはきょとんとしている。

「…何ですか?そりゃありますけど」
「あたしは、去年神社のお祭りで…」
「そっかそっかぁ~、で、二人とも、反応どうだった?」

搾り出した返事に、息もつかせぬキリノの怒涛の質問。
ミヤミヤの方は一瞬呆けるものの、すぐにその意図を察し…

「え?……あ。そ、そりゃもう…って何を言わせるんですか!」

と、どうにか返答するものの、もう一方のタマは未だによく分かっていない様子。

「???はんの…う?」
「うんうん、ほら、ユージくんのとか…さ」

促すようにキリノが同伴者の名を挙げると、
ぽんっ、と頭の中で手を打つのが見えたように瞳を輝かせるタマ。

「あっ…はい。ホメてくれました。お母さんの小さいの頃のでしたけど…似合ってるって」
「そっかそっかあ……にへへ」

タマの体験談に勇気付けられ、自然と顔を綻ばせるキリノ。
そこへチクリ、ミヤミヤからのささやかな反撃。

「……先生とご予定ですか?先輩」
「うん!話はこれからなんだけどね」

その反撃は軽くいなされたものの…
あくまで楽しげなキリノに、ああ、やっとこの人も重い腰をあげるのか、とミヤミヤが内心で一人ごちていると。
やがてがちゃり、という重い音がして男子更衣室の扉が開き、出て来る果報者たちが――――三人。

「お待たせまいはにぃ~」
「ダンくん、待ってたわ~」

まず真先に出て来たダンにミヤミヤが飛び付くと。

「お待ちどうさま、タマちゃん。じゃあ帰ろうか」
「うん」

タマもユージにぴとっ、と引っ付く。そして最後に…

「気ぃつけて帰れよー……って、キリノ?なんでお前までいるんだ?」
「えへへ、実はセンセーにちょっとお願い事がありまして」

なんのこっちゃ、とコジローが口をへの字に曲げると、
もう帰り支度の出来た他の2組が道場の入口から手を振っている。

『先生、部長、じゃあまた明日ー』
「おーう、お疲れさん」
「ばいばーい」

挨拶を交わし、ふぅ、と溜息をつくキリノ。

「本当に……仲良いっすねえ」
「…まあ、あいつらはな…幼馴染だし、恋人同士だし―――片っ方は、未だに信じられんが」

キリノにしてみれば、それは先程のシャワー室から聞こえていたコジローとユージ、ダンの楽しげな声を指しての物で…
自分の立ち入る事の出来ない男の子同士の仲の良さを少し羨んでの言葉だったのだが。
生憎とタイミングが悪く、コジローは先に帰った2組のカップルの方を考えてしまったようだ。

「そんで、用事って?」

それに気付かぬコジローが切り返すと、
まあいいか、と嘆息をつき、申し訳無さそうに両手を合わせて頼み込むポーズをとるキリノ。

「あの、別に大した事じゃないんすけど……センセー、付き添い頼まれちゃくれませんか?」
「はぁ?何に…何の…誰の付き添いだって?」

なかなか当を得ない頼み事に、最初はただポカーンとするだけのコジローだったが…
話を聞いてみると、何の事はない。
キリノの家の近くで今晩行われる割と大きなお祭りに、
本来ついて行くはずだったお父さんが用事が入って行けなくなり…
騒ぎ立てる弟と妹たちの力押しに寄り負け、誰か代理を探す羽目になり、
そしてコジローに白羽の矢が立ったと。つまりは、そういう事らしいのだが。

「まあ…そうは言ってもあの子ら、すぐ居なくなっちゃうんですけどね」
「そりゃあまあ…年頃だもんな」

そう言いながら、手の掛かる弟や妹の事を語るキリノはとても楽しそうに見え…
それは勿論―――コジローにとっても、好ましい物でもある。
受けない道理はどこにもない。

「…よっしゃ、んじゃ、行くか。そのお祭り」
「ホントっすか!ありがとうございます~」
「で、何時にどこ集合だ?」
「え~っと、あたしの家、分かりますよね?5時ごろに来てくれれば…」

快諾の返事に、キリノの表情がより一際明るくなる。

(まあ、受ける理由なんて…その笑顔だけで十分なんだけどな、ホントは。)

……ふと、コジローはそう思った。


       ※       ※       ※       ※       ※       ※


「…じゃあ、もうすぐ着くからな」
「うん、待ってるー」

そう言って、車中のコジローがハンズフリーのスイッチを切ろうとしたその時。
電話の向こうから何か…子供の声がする。

「お姉ちゃん、誰とお話してるのー?」
「え…先生だけど…」
「ふーん。なんで鏡見ながらお話してるの?」
「み、見てないでしょ?なに言ってるんだかもう!」
「あ、髪なおしてるんだね~ボサボサだから~」
「し、してないってばぁ!」

ガチャッ、ツーツーツー。
どうやら向こう側の通話が切れたらしい。

「何なんだ…まあ、賑やかな家族だな。お…ここか」

予めキリノから聞いておいた駐車場に車を停め、
車中から車で確認した「惣菜ちば」へと…徒歩にして2分ばかり。
お客さんでごった返している店の前まで来ると、可愛らしい浴衣を着たキリノが出迎える。
……が、こちらに気付いたキリノの様子がどうもおかしい。
どこか呆然としている所へ声をかけるコジロー。

「よっ、3時間ぶりくらいだな」
「…あっ。お、お久し振りです…あれ?え?」

訝しげにまじまじとこちらを見つめるキリノ。
気のせいか、頬が少し赤い。その目がどうも見ている物は…

「ああ、これか?…いやこんなの、今日みたいな事でもなきゃ着られないしさ」

コジローが着ているものは、母親が無理矢理置いていった―――着流しの浴衣。
普段の背広姿の時は、概ね襟元を開けだらしなく見せているコジローではあるが、
何故かこういう格好でそのポリシーを当て嵌めると、妙に…
アウトローな雰囲気が際立つというか、立ち居振る舞いに奇妙な艶やかさが出る。
しばらく見入ってしまったキリノがぶんぶんと首を振り、ひとつ深呼吸すると。

「カッコいいですよ、センセー…ふふ」
「そか?変じゃないかな?…ありがとな、キリノ」

そのまましばらく、キリノと立ち話を続けていると、
えらく可愛らしいおばさんがにこやかに話し掛けてくる。
どうやら、キリノのお母さんらしい。お客さんを捌いて、ひと段落ついたのだそうだ。

「うちの子がいつもお世話になっております、先生…」
「いっ、いえ俺の方こそ……娘さんには、本当に…世話になりっぱなしで…」

(――――馬鹿か。ちげえよ俺。)

教師が生徒の世話になってどうする。
あわてて訂正しようとするが、言葉が出て来ない。

(まあそりゃ、事実なんだけどさ。)

事実は事実か。と、どうにかコジローの態度が受け入れ態勢に転じた所で…
どすん。

「うぐっ」

不意に、身体の裏側に強い衝撃を感じ…腰の辺りに鈍い痛みが走る。

「せんせー、今日はよろしくっ!」
「よろしく~」

キリノの姉弟の弟の方が、タックルをかましてきたらしい。
キリノとお母さんがあらあら、と慌てて子供たちを宥めると。

「ごめんなさいね…この子たち、先生に会えるのが楽しみだったみたいで……迷惑じゃありませんでした?」
「いっ、いえ…でも、俺のこと、なんで知ってるんですか?」
「それはもう…ねえ?」

そう言うと、母と弟と妹の視線が一斉にキリノに注がれる。
キリノは照れて、顔を耳まで赤くしながら頭を掻いているだけだ。

(コイツは……家で俺の事をどんな風に喋ってるんだ…?)

疑惑の目を向けても、視線が合えばキリノの顔は赤くなるばかりで梨の礫。
埒も開かず、二人して弟妹たちにからかわれながら携帯で時間を確認すると――――6時、少し前といった所。

「んじゃ、そろそろ行くかぁ…」
「…うん」
「行こうぜ行こうぜー!」
「ごうごう~」

お願いします、と手を振るお母さんの姿が段々遠くなってゆき――――
お祭りへと向かう陣形は、先を行くキリノの弟妹と、そして後方にコジローとキリノ。

隣り合い、あれがしたいこれがしたいな、と談笑しているうちに、時間は過ぎ…
あっという間に、会場は目の前、であった。


       ※       ※       ※       ※       ※       ※


会場に着き、居並ぶ露店の中でまず4人が辿りついたのは、豪華な景品を掲げる射的のお店。

「先生、あれやってよ、P○Pとって!」
「射的か…変わらんなあ、こういう遊びって」
「アンタ○S派じゃなかったの?」
「友達がモン○ン始めちゃってさー」
「とってとってー」

弟たちに急かされる様に露店の親父に金を払い、
スナイパーよろしくライフルを構えるコジロー。気分はゴルゴか、次元大介か。
道場で稀に見せる限界近い集中力をフルに発揮させ、獲物を狙う…しかし。

(これ、けっこう痛い出費だな…トホホ…)

雑念が入り、一射目の弾丸はドングリほどの的を僅かに外す。残りの弾丸は、二発。
むむむ、と集中し照星を覗き込み、第二射目――――しかしそれも、僅かに的を掠めただけ。
最後の弾丸をこめるコジローの手に、否応無しに力が篭もる。

「先生、がんばってっ…」
「がんばれセンセー」
「がんばれ~」

キリノの応援に余計に肩に力が入ると、少しライフルを置き、ノビをするコジロー。
よし、と再び構え直し、しっかりと狙いを定め、トリガーに手をかける…その時。

―――――ぐぐうぅ。

その場の全ての人間がその所作に注目するなか、鳴り響いたその音は……どう聞いてもお腹の音そのもの。
その恥ずかしさの余りつい、うっかりトリガーに力を入れてしまって発射された弾丸は…
惜しくも棚の段差に弾かれ、垂直に上へと撥ねあがる――――ゲームオーバー。
しかし、そうかに見えた弾丸は屋根に当たり、ひゅるり、と落下してくると真下にあった奇妙な人形の脳天を捉える。こつん、ぱた。

「ほい、おめでとー」
「いっ、いや!今のってアリなんすか?」
「まあ、ええからええから、兄ちゃん」

店主がもうほとんど失笑を堪えながら、無理矢理、押し付けるような形で手渡してくるその人形は…
言ってはなんだがかなり歪な、というか…不恰好な形をした、狸のストラップ。
もちろんそんな物に目を輝かせるのは、自分のお袋を除けば……背後にいる、一人しかいない。
振り返れば…案の定、その瞳は輝きに満ちている。

「ごめんな…代わりにだけどホラ、キリノ」
「……いいんすか?」
「いいも何も…やるよ」
「ありがとうございますっ!」

そう言って深々と頭を下げると、どこかへとダッシュで走り去ってしまうキリノ。
キリノの弟妹たちは、その様子を面白おかしそうに見守っている。

「どんまいどんまい先生、惜しかったじゃん」
「おねーちゃん、ああいうの好きだと思うよ~」
「そ、そか…取れなくてごめんな」

やや失意のうちに、露店の暖簾をくぐると…キリノが息を切らせて帰って来る。
その手には少し大きな袋を携えている。

「えへへ…お礼っすよー、なんか沢山おまけしてもらっちゃった。みんなで食べよ?」

生姜とソースの香ばしい香りが鼻をつく…これは、たこ焼きか。
沸き上がる4人にコジローのお腹がしっかりぐうう、と返事を返すと…
少し人込みを外れ、たまたま空いていた長ベンチに腰掛け、いただきます。

「10個入りふたつって言ったら、なんか店のおじさんが一杯くれちゃって」

開けてみると2個ある舟には、それぞれ14~5個のたこ焼きが山のように盛られている。

(まあ、オッサン…気持ちは、わかるよ。)

と、コジローがどうでもいいような呟きをただ宙に向かって投げ掛けていると。
おもむろに楊枝に刺したタコをひとつ、コジローの口の前に差し出すキリノ。

「はい先生、あーん?」
「…ちょっ、待てオイッ!」

(――――弟たちがいる前でする事じゃねえだろ。いや人前どこであってもだ!)

全力でそう思ったコジローの口から、思考のカケラが漏れる。しかし。

「お、おとうと…」
「ん?二人ならもうどっか行っちゃいましたよ?……すぐ居なくなっちゃうんですよ」
「………え?」

たしかに、ベンチの横に居た筈の姿は既に無く、
空箱になったたこ焼きの箱だけが前後にぷらぷらと揺れている。

(なんてえ…素早さだよ…)

若さってのはスゲエなあ、とコジローが感心している傍に、
相変わらず楊枝のたこ焼きを突きつけたままやや不機嫌そうになっているキリノ。

「むー、先生イヤなの?」
「いっ、いやっ、決してそういうわけでは…」
「…エビフライは勝手に取っちゃうのに、あーんされるのはイヤなの?」
「……スイマセン」

観念したコジローがぱくり、と一飲みにするとキリノは満面の笑顔でにやける。
そのまま一本の楊枝で舟を空にすると、うん、と一つ伸びをして立ち上がるコジロー。

「じゃっ、回るか!…俺たちも」
「うん!」

…そのままそこら中をブラブラしながら、小一時間。
りんご飴を頬張り、綿菓子を食い、箸巻きにかぶりつき…

(なんか…食ってばっかりだな、俺。)

こんな事でキリノが楽しめているのか不安になり横を観ると。
逆に、いつもにも増したにこやかさがそこにはある。

「食ってばっかでごめんな…さっきは、気ぃまで使わせちゃって」
「いえいえー、あたしも…お弁当持ってくれば良かったなあ、って思ってたとこっすよ」

そんな話をしながら歩きつつ、ふと立ち止まると。
キリノの背中越しの遠景にひゅるひゅると種火が上がり、
夜空に大きな花を描いたかと思うと、やや遅れてどおん、という音が鼓膜に届く。
――――――花火の打ち上げが始まったらしい。

「おお、キレイだな」
「ですねー」
「どっか静かに見られるとこ、探すか」
「じゃあ、さっきのベンチはどうっすか?人いるかなあ…」

その思い付きに従い、戻ってみると……幸いにして、誰も居ない。
胸を撫で下ろし二人で腰掛けると、夜空を彩る花たちの競演を見上げる。

「たまやーっ、って言うんですよね」
「古臭せえなおい…かーぎやー、ってか?」
「んふふ、そうですそうです」

取るに足らない会話を続けているうち、キリノの弟妹らも帰って来た。
妹の方はもう既にいい具合にウトウトきているようだ。

(――――8時、か。少し早いが…)

子供は寝る時間だよな、といってコジローがベンチを譲ると、
そのままキリノの膝を枕にして、ガックリと横になってしまうキリノの妹。

「しかし何か…メチャクチャだな。どうやったらこんだけ疲れられるんだ?」
「そりゃ、いっぱい遊んだしさ!ヌイグルミも俺が取ってやったし」

言われて初めて、夢うつつの妹が大事に抱えている物を見てみると、
これまたあまり可愛いとはいえないふてぶてしいいぬのヌイグルミを、後生大事に抱えている。

「そっかー…えらいんだな、妹思いで」
「えへへへ…」

頭を撫でてみると、キリノと全く同じ反応だ。
やはり姉弟なのだという事だろう。

(なんか…いいな、こういう感じ。)

ふと、傍らで妹の髪を梳くキリノを見やりつつ、しんみりと考える。
自身に兄弟がいないせいと言うのもあっていまいちピンと来なかったが…
この感じは、やはり――――”家族”とは、兄弟とはまさにこういう物なのだろう。
その共同体の中に自分が含まれているのは…勿論、悪い気はしない。
コジローがそんな事を考え顔を緩ませていると、花火の最後の一発が上がり、
そのまぶしさに照らし出されるキリノの横顔。つい、大輪の花火よりそちらに見入ってしまう。

「…やー、キレイでしたねえ」
「………」
「センセー?」
「んっ、ん?ああ…うん…」

なんとも、表現しようの無い感情に支配され、言葉が出てこない。
そこへまたも、キリノの弟が動く。

「センセー、何ねーちゃんの顔ばっかり見てんのさー」
「な、な、な、ばか、ちが…」
「えっ…」

そのまま二人とも押し黙ってしまうと…
その光景を付かず離れずがさごそと動き回りながら、見守る弟。
まるで永遠にも続きそうな沈黙だったが、花火が終わり、徐々にお帰りの客が周りを賑わせ始めると。

「…俺たちも、帰ろうか。…道、混みだす前に」
「そう、っすね…」

そう言ってコジローが寝ている妹をおんぶして立ち上がると残る二人も続き、会場を後に。
歩き出してしまえば次第に奇妙な緊張感もほぐれ、軽い会話も弾む。
そのまま家路も半ばあたりを過ぎようかという所で…
キリノがふとコジローの顔を覗き込むようにし、楽しげに告げる。

「でも…今日はホントに、ありがとうございました、センセー」
「んーいや、特別何もしてないけどな」
「ありがとうね、先生!」

道を先行く弟の方もキリノの言葉に反応し、大きな声で感謝を伝えてくる。
しかしその笑顔が、くす、とひとつ深みを帯び…そのままふっと、後ろの二人へ近寄り並ぶと。

「……ねえねえ、で、センセーはいつ俺の兄貴になるの?やっぱ卒業してから?」

ニヤニヤしながらその言葉を紡ぐと、
またもや何とも気まずい空気が場を支配……するのかと思いきや。

「あんた、いい加減にしなさいよ!!」

今度は珍しく、キリノが怒った。
……いや、コジローと言えどもキリノのここまでの形相を見るのは初めてかも知れない。

(怖い怖い。)

コジローが内心そう呟いていると、
その声に反応したのか、背中の妹がもぞもぞし始める。
どうやら目を覚ましてしまったらしい。
しばらくぼぉっとしていた妹は、今の大体の事情が飲み込めると、

「おろして~」

といい、勝手にするりとコジローの背中を滑り降りる。
そして怒ったキリノから逃げるように先を行く兄に合流すると。

「じゃあ、俺たち先に帰ってるから!」
「ごゆっくり~」

二人して手を振り上げそう言うと、
あっという間にその姿は見えなくなってしまった。

「まったく…引率の意味ねえな」
「ごめんなさい…」
「いやいや、感心してんのさ」
「じゃなくて…」
「あっ、ああ…うん」

どうにも、曖昧な返事しかしようのないコジローに、しかしキリノの胸はちくんと痛む。
コジローにしてもそれは承知の上ではあるが、かといって自分ではどうしてやる事もできない。
”卒業”までの――――あと1年と数ヶ月。それは二人にとっては無限にも感じる長さでもあり…
しかしまた同時に、1日たりとて失いたくない貴重な日々でもある。
「早く過ぎて欲しい」と「終わって欲しくない」の相反する二つの感情が鬩ぎ合う、微妙なポイント。
そんな繊細な部分をいくら姉弟とは言え、他人に茶化されれば…
キリノが激昂したのも、無理からぬ事ではあった、のかもしれない。

(まったく、不器用なんだろうな、俺も…)

――――こいつも。
コジローがそう思い、キリノの頭をぽん、とひとつなでると、
無意識的にその手の方へ体を摺り寄せてくるキリノ。
そうして徐々にその雰囲気から、刺々しさや悲壮感が消えてゆけば…
必然的にそこに残る物は、いつものキリノそのもの。
やがてにっこりと、今度は少し意地悪さを含んだ笑顔をコジローに向けると。

「…ねえ、先生?」
「んっ、なんだ?」
「今日…なにか、言い忘れてる事があるんじゃないですか?」

そう言うと、さっと身を翻し、すぐ傍の街灯の照らす下に立つと、くるくる、ぱっと一回転してみせるキリノ。
その妖精のような動きに魅入られるようにじっと見ると…
普段は余り意識しない真っ白いうなじや、鎖骨の形。それから、向日葵柄の可愛い着物。
さらには腰布のリボンと色を合わせた、キリノにしては珍しい派手目の髪飾り、などなど。
それら全てが、「キリノ」という原子で出来ており、今、目の前にいるキリノという全存在を形作っている―――
そんなふうに感じられ、コジローのキリノに向ける愛おしさは一杯になる。

(そう言えば……まだ言ってなかったか。ダメだな、俺。)

―――もちろん今、言うべき言葉はひとつだけ。

「ああ、ゴメンな…浴衣、似合ってるよ、キリノ」
「んふふー、ありがとうございます」

そのまま、お互いに歩きながら、その距離を縮めていく。
そして肩同士が触れ合う程の距離まで来ると、
それでもまだおずおずと宙空を彷徨うキリノの手をぐっ、と握りしめるコジロー。
それに一瞬顔を赤くし、いいのかな、という不安の目を向けるキリノ。
だが、コジローの表情に迷いはない。

「まあ、これくらいなら…いいんじゃないか?」
「………うん…」

握るコジローの手を、ぎゅっと握り返すキリノの手。
指と指をしっかり絡ませながら手を繋ぎ、再び、二人でゆっくりと、歩き出す―――――