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――――ある日の放課後。
がらがら、と勢いよく職員室のドアが開くと、キリノが飛び込んで来る。

「センセー!遅いから呼びに来たよ!……ってあれ?」

指で「しーっ」のジェスチャをしながら、静かに、と促す電話中のコジロー。
相手はどこかの高校の、先生のようだ。

「―――そこを、なんとか…!」
「お願いします!お願いします!」
「………わかりました。無理言ってすいませんでした…」

「ふーっ……何一つ、上手く行かんもんだな…」

吐き出すようにそう口にし、倒れ込むように椅子に深々と腰掛けるコジロー。
キリノが傍だってよく見ると机の上のメモには夥しい数の高校名と電話番号が、そしてその殆どには赤い×印がつけられている。

「はは……すまんなあ、本来こういう所でもっとお前等の力になってやらなきゃいかんのだが…」

いかにも申し訳無さそうにそう告げるコジローが…
何をしていたかは、聞くまでもなくわかる。自分達の為に、試合を組もうと。
そして端書に記された高校名の数、それに劣らない「駄目だった」という証の×印は。
――――何よりも雄弁に彼の不断の努力を物語っている。全ては、自分達の為に。

(本当にくだらない、動機だったけど…)

”―――全国を目指しましょう!”

(……少しは、言った甲斐あったのかな?でも…)

…大人でも、子供でも。頼み事でも、何事においても…
誰かに「断られる」と言うのは、それだけでエネルギーを奪われる物だ。
それは取りも直さず、自分自身の否定に他ならないのだから。
そんな痛みにも耐えて頑張ってくれているコジローに、キリノは逆に申し訳ない気持ちで一杯になる。

「…先生、あたしも手伝うっすよ」

そう呟くと、渋るコジローの手を強引に押し退け、端書の中でまだ×印のついてない高校を探す。
まだ残っている校名には、自分のキリノートに記されたデータと照合すれば…
今の自分達の実力的には分不相応過ぎる高校もちらほらを見える。
その中で、キリノの目を引いた名前は。

「成明……高校…」

知り合いでもいるのか、と尋ねるコジローに。
まさか自分達にちょうどいい相手だからとも言えず…
ただなんとなくだけど、とお茶を濁す。

―――万年一回戦負けの、典型的な進学校の”剣道部”。
尤も、最近まで部活の体をなしていなかった自分達にそれを笑う資格は無いが―――
最近、厳しい顧問がついたと言う噂こそあるものの……ここならば、今の自分たちには丁度いい練習相手になってくれる。
ひょっとしたら剣道を始めたてのミヤミヤやダンくんにも、何か自信をつけてあげられるかも知れない。

(先生、やる気を出したのはいいけど…)

勿論、強い高校と練習する事に意味が無い訳ではない。
コジローがそういう事に考えが及ばないない人ではない事も、自分は知っている。
しかし彼なりに、この部の「父親」として―――子供には大きく育って欲しい。そういう気持ちもあるのだろう。
そうして見ると、リストアップされた高校は総じて、自分のデータと比べると……「格上」の相手の名前が目立っているようでもある。

(こう言う気配りが出来ない所は、まだまだだね……ふふっ)

それは彼が、自分が強くなった時、ただ向上心をバネにどこまでも高く翔べてしまう人だったからなのだろう。
しかし、ミジメな負けから得る事のできるその意味を知るにも、まずは自信があってのものだ。
自分の強さに対する―――そして自分が剣道を好きだと言う「自信」。まずはそれ。

キリノはそこまで考えると、ふと、その自分のとっている行動が…
父親の至らなさを陰にフォローする母親のそれのように思えて、不思議とそれに違和感のない自分に気付く。

(―――まあ、お母さんの気持ちって、こう言うものなのかもね。)

その気持ちが、本当にそうなのかはさておき。……こほん、と一呼吸置くと…
いいって、俺がやるよ、というコジローの制止も聞かず、受話器を取り、電話のダイヤルを押すキリノ。
プルルル、プルルルと3回ほどコール音がかかり、向こうの事務員のような人が電話を取る。

「あっ、すいません私、室江高校剣道部の部長の、千葉紀梨乃と申します―――」

その様子を見ながら、ったく、と憮然とした顔のコジローが口をへの字に曲げると。
いかにも不器用な折衝しか出来ない自分よりも、遥かになめらかに交渉を進めていくキリノ。

(まあ、こいつは器用そうだよな、こういう事……)

別に羨望するでもなく、漠然と思う。
自分に足りない物を、こいつが持っていて、それを補ってくれる―――それが嫌な物であろう筈もない。
いや、本来生徒にそのような態度ではいけないのは理解している。
先生とは、生徒を導く者だ。それが生徒に劣る部分を持っていて、しかもそれを頼りにしてしまってどうする。
しかし……何故かキリノに対してだけは、その感覚がしっくり来てしまう自分がなにやら、気恥ずかしい。

(俺が親父だとしたら―――こいつはお袋なんだろうな、多分。)

自分の両親が、どういう事を思い、お互いの事をどう思っているか。
幼少の砌をさほど不自由なく育った自分には、それが余り見えていないのは分かっている。
だが、それでも―――親父がお袋を。自分の至らない所で頼みにし、お袋はそれに答えつつ…
お袋もまた、自分の出来ない部分で親父を誰よりも頼りにしている。それがまさしく家族という物だ。
我ながら貧困なイメージだな、とは思ったものの、そこに自分とキリノを当て嵌める事には、何の違和感もない。

(まったく何なのかな……この無遠慮さは。)

コジローがそのように考えては微妙に照れ、不思議な顔を浮かべるという行動を繰り返している内に。
受話器を持つキリノが先程とは違った様子でこちらを見つめている。

「先生、どうしよう…」
「んっ、どうした?」

どうやら電話の相手は向こうの顧問のようだ。難物らしい。
それはキリノから電話を代わった時のもしもし、と言う声のどこかドスの利いた迫力にも現れており…
ごくり、と生唾を飲み込むこちらの音が聞こえるや否や打ち掛かって来られるような。
まるで剣道場で対峙しているかのような緊張感を湛えている。
しかしその声は、こちらが名乗ると、打って変わって少し穏やかな空気を纏い、こう告げた。

「石田先生、と仰いましたか―――ひとつ、お聞きしたい事があるのですが」

”剣道部は、楽しいですか?”

その余りに漠然とした質問に、やや腹の立つ部分もあったものの…
先程までの雰囲気に、どうやら何か意図あってのものだ、と辛うじて脳を落ち着かせる。
そして、考える――――どのような答えが相応しいか、ではなく、自分は本当に剣道部を楽しめているのか。
大元は、完全な自分のエゴで幕を開けたこの春から、生徒たちには―――
特にいま隣で心配そうな顔を向けているこいつには、どれ程の迷惑を掛けてきたことか。
今どうにか自分が頑張れているのは、せめてその罪滅ぼしがしたいのに過ぎないのではないか…
しかしそんな逡巡を浮かべる俺の顔に、隣のこいつは、キリノは……心配を隠し、笑顔をくれる。

(―――うん、そうだなキリノ)

腹は括った。

「俺は、いやぼくは―――ダメな顧問ですが…」

「いい生徒たちに恵まれ、どうにか顧問をやれています」

「教えながらも、こっちが教えられる事も沢山あって…」

「その生徒達を見守り、共に歩んで行ける事が―――」

「今の自分にとっては、何よりも楽しい事だと。胸を張ってそう言えますよ」

それはまるで、生徒が先生に答えるような答え。
思わずに息継ぎもせずに喋ってしまったが、隣にキリノが居た事を思い出し、照れてしまう。
だが、クサいですねえ、とでも言うような顔でこちらを見ているのかと思いきや…
そのキリノの顔には少し、唖然、と言うか…何か、得体の知れない物を見るような色が浮かんでいた。
キリノがそれに気付き、ぶんぶんと振り払うのを見ていると、ふむ、と考え込んでいたらしい電話の向こうからの声がする。

「それでは、もう一度……部長さんに代わって頂けますか?」

そう尋ねられ、キリノに目配せをすると、キリノはひとつ「まかせて」とでも言うように…
小さな拳をつくり、自分の胸をどん、とたたくとコクンコクンと頷いている。
それに安心したコジローが受話器を任せ、それを受け取ると……再びもしもし、と低い声が聞こえる。

「千葉さんと仰いましたね―――ふふ、ひとつ、お聞きしたい事があるのですが」

”剣道部は、楽しいですか?”

コジローにも聞こえてしまう間合いで投げ掛けられる、先程と全く同じ質問。
固唾を飲んで見守るコジローにも……しかしキリノの答えはあざやかであった。

「……もちろんです!」

キリノがそう言い切ると、コジローには…
電話の向こうの主が、少し微笑んだのが見えた気がした。
そのまま、もう一度キリノに代わって電話に出ると、その返事は。

「―――わかりました。練習試合の件、こちらからもよろしくお願い致します」

失礼します。それだけ残して向こうが電話を置き、ツーツーという音が流れると…
喜びを隠し切れず手を上げるこちらに、待ち構えるように右手を掲げるキリノ。
そのままハイタッチのいい音を職員室中に響かせ、どちらからともなく喜び合う。

「……やった、やったぜキリノ!」
「練習試合、燃えて来ましたね、センセー!」


コネもなく、金も無い……そんな貧乏教師が、何故練習試合を組む事が出来たのか。
これはその――――ほんのささやかな舞台裏。



終わり