「…まだまだこれから、だろ?―――きついのも、夢中になるのも」
「そうっス、ね…」

―――半年前、終わったはずの俺の剣道。
だが、それはそう思い込んでいただけで……本当は、何も終わってなどいなかった
そう、これからだ。俺の剣道も、教師生活も。全ては、これから。
だが、その前に……どうしても片付けておかねばならない、懸案が一つ。
先輩と飲み別れると、意を決して、携帯のボタンに指をかける―――相手は。

「……キリノか。俺だけど―――明日、話したい事があるんだが」

▽▽▽

「……で、お話って何っすか?センセー」

時間は放課後の練習が終わった、さらに後。
格子戸から差し込む光に、夕暮れが迫るのを感じる道場で―――向かい合う、俺とキリノ。
今日一日の、俺に対するキリノの態度はやはりどこかツンとした物を含んでおり…
昨日は勢いであんな事にはなってしまったものの、一日明ければ…当然だが、心からは俺を許していない。
そういう匂いをひしひしと強く感じさせていた。

「俺、お前に……山ほど、謝んなきゃいけない事があって」

そう言う言葉にも、キリノの表情はまだ、暗い。
無理もない、男の弁解など、みっともないだけだ。聞きたくも無いだろう。
だが俺は、こいつにだけは―――絶対に。誤解されるわけにはいかないと、そう決めた。だから。

「半年前……何も言わずに居なくなって、ごめん」

「その事でお前が苦しんでる時に……何もしてやれなくて…ごめん」

「その前にも……無理して頑張ってるお前に、何もしてやれなくて…ごめん」

「だらしない先生で、お前達を―――ちゃんと指導してあげられなくて、ごめん」

――――ひとつ、ひとつ、またひとつ。
考え付くだけの全ての罪科を懺悔していくも、相変わらずキリノはその言葉のどのうちにも反応を見せてくれない。
一体幾つ在るのだろう、と自分でも辟易しそうなほどの数の後悔の言葉も、記憶力には限界という物がある。
喋って行くうちにその記憶は薄れて行き、ついには―――自分で思い付く限りの全てを喋ってしまった気がする。
それでも尚、キリノは黙ってそこにいるだけだ。
その目には些かの恩赦の光も見えはしない。

(やっぱり、ダメなのか……もう昔のようには…)

同じ物を見て、同じ事を感じ、笑い合ったり、話し合ったり。
自分がいて、その隣にこいつが居るだけの、やわらかな空間。
そんな物が何より大事な物だという気付けたのは―――やはりあの「ただいま」の時をおいて他にない。
あの時、通じ合えた気持ちは、きっと……元通りにやり直せる、そう確信出来るだけのものがあった。
ところが現実は。目の前のキリノの態度は…そのような脆い思い込みを粉々に打ち砕くかのように、硬く心を閉ざしているようだ。

(もう…諦めるべき、なんだな。)

「…とにかく、俺が言いたかったのは、それだけだから―――」

そう言い残し、何の解決も見られないまま、その場を去ろうとすると…
刹那、悪寒が走る。―――本当に、これでいいのだろうか?いや、いいはずがない!
再び記憶をフル回転させ、俺に残る後悔を―――いや、俺とこいつを隔てるモノの記憶を必死に探る。
そして……見つけた。しかしそれは、果たして贖罪と呼ぶにあたる物かどうかさえ怪しい、あやふやな物だ。
しかし今はそんな藁にでも縋り付かなければ、自分はこの後悔を一生抱える事になる。そんな直感があった。

「あと………ウソついてて、ごめん」

その言葉にふと、ぴくん、と、今日初めての反応を見せるキリノ―――
それは、全ての始まりの日。俺たちがタマと出会った、その日のこと。

「俺が、あの時……やる気を出せたのは…」

―――出しえたものは。

「スシ、なんだ…」

あの時こいつは確かにこう、言っていた。
”あたしの為に”やる気を出してくれて、嬉しい、と。
そして俺は、咄嗟に目を逸らした。それは勿論それが嘘だったから、と言うのもあるが…
何よりもそういうこいつの気持ちに、自分は応える資格がない。
ましてやこいつの気持ちが軽い物でなく本物だったとしたなら、尚更だ。そう思ったから。
だが、よく考えてみればその行動は、結果的に、形としては――――
否定するでも、肯定するでもなく、ただこいつの期待を裏切っただけだったのかも知れない。
……しかし、そんな俺の考えとは裏腹に、何やらお腹を抱えて様子のおかしいキリノ。ふとおそるおそる、声を掛けてみる。

「………キリノ?」

だがその声が引き金か、堰を切ったようにそれを破裂させるキリノ。

「―――あっはっはっはっは!!!」

その声の大きさに、フキダシで殴られるような感覚を覚える。
ああ、”爆笑”というのは、本当はこういう状態を指すのだろうな。
と、そう考えてしまうほどに……唖然とするこちらを尻目に、笑い転げるキリノ。

「あはは……ごめんなさい。だって、あんまり真面目な顔で言うから…ぶっ、あはははは……」

気持ち良いくらいこちらを笑い飛ばすキリノに、いっそ惚けながら。

「……ど、どういう事だよ??」
「あはは…まさか、気付かれて無いとでも思ってたんですか?センセー」
「だってお前、あの時”あたしの為”って、嬉しそうに…」
「そんなの…例えそんなわけなくたって、それくらい、思っててもいいじゃないっすか?だって…」

「―――好きな人が、自分の為に頑張ってくれるのって、嬉しいじゃないっすか」

キリノはそう言い終ると、ああやっと言えたんだ、というような安堵とも恍惚ともつかない表情を浮かべている。
”好きな人”と言うのは、この場合、つまり――――
そのまま自分の言葉に押し出されるように、一気に喋りだすキリノ。

「…でもあの時は、嬉しかったな」

「……先生、そんなあたしの冗談を、否定も肯定もしませんでしたよね?」

「ホントだったら大否定しちゃって、今のあたしくらい大笑いしちゃっても、いいことなのに」

「お為ごかしに軽い気持ちで肯定して、あたしの気持ちを踏みにじったりもしないで」

「不器用だけど、その真摯な受け止めてくれ方が嬉しかった……うん、嬉しかった…」

「……だから、あたしはきっと、先生のそういうトコロが好きなんですよ」

もう一度発せられる”好き”の言葉。
そして、こちらの腕にしがみついてくるキリノ。

「……それでもう、気は済みましたか?センセー」
「……なにがだ?」
「さっきの……何も言わずに出てっちゃったのとか、何も出来ないでごめん、だとか―――そういうのっすよ」

――――そうだった。
しかし、今更あてこすりのような謝罪の言葉を幾ら並べた所でそれは…
キリノの言葉の、気持ちの重さに比して、何の答弁にもなりはしない。
かと言って、キリノと同じ言葉を、同じだけの気持ちを込めて、俺に伝える事が出来るだろうか?
”好き”なのには違いはない。だがきっと、その重さは異なる物だ。ならば―――

「キリノ…」

「今の俺には、コレ位しか言えんのだが…」

「ただいま。……また一緒に、居てくれるか?」

それににんまりとした笑顔を見せ、
右腕にすりすりと匂いをこすりつけると。

「もちろんっす、センセー…これも、やっと言えるよ……」


「おかえりっ!」




終わり
最終更新:2008年05月18日 00:35