珠姫の手を無遠慮に掴み、剣道を辞めるように促す軽口を叩いた男、岩堀。
彼を常にない気迫の篭った瞳で退散させた勇次は、珠姫の側に膝をついた。
困惑し、硬直していた珠姫は、まだ心ここにあらずといった感じだった。

「大丈夫? タマちゃん。アイツになにかされなかった?」
「あ……ユージくん。うん。大丈夫。少し驚いただけだから」

空返事をしながら、今まで掴まれていた手を軽くさする。
不躾な振舞いに晒された手は、まるで自分のものではなくなったように虚ろな感触がした。
冷たく鼓動を打つ身体の内側に、岩堀の言葉が呪詛のように響く。

剣道なんか辞めてしまえ――

今まで自分が打ち込んできたモノを無意味だと嘲笑するような言葉。
軽いショック状態だった珠姫の心に、それは蛇が這うように深く浸透していく。
だが。

「――珠ちゃん? 本当に大丈夫?」

そっと珠姫の手に触れた勇次の手が、それをぴたりと止めた。
剣道タコの出来たザラついた、けれど温かい手。
それは珠姫の父親が。今は亡き母親が。今まで接した人達の大半が持っていた手の感触で。
まるで今まで関わった全ての人が、大切な人たちが手を重ねてくれたようで――。
得体の知れない冷たさに覆われていた珠姫の手は、たちどころに温められていた。
呪詛めいた不安の種を運ぶ蛇もまた、尾を掴まれたかのように取り除かれていた。

「――ユージ、くん」

自分の物に戻った手が、勇次の手を握り返す。
手の温もりを確かめるように一度瞑目すると、珠姫の瞳は輝きを取り戻した。
冷たくなっていた心の奥に、小さな炎が灯るように温かな熱が宿る。

「ありがとう、ユージくん。大丈夫だから」
「うん。一応オレも、なるべく側にいるようにする。なんだかガラの悪い学校だしね」

勇次が立ち上がり、繋いだままの手を引かれて珠姫も立ち上がる。
そこで繋いだ手は離されていたが、珠姫の手にも胸にも、熱いモノが残っていた。
ギュッと、勇次が触れて治してくれた手を握り締める。――大丈夫。

交渉を終えた岩堀が、嘲笑を浮かべて珠姫を見る。
その嘲笑はまだ少し怖くて、珠姫は自分を庇うように立つ勇次の影に半身を隠してしまう。
けれど、最初のときのような冷たさが心の奥を侵食することはなかった。

「大丈夫。剣道家(オレ達)は剣で語るんだから。自分の全てを剣に篭めてぶつければいいんだ」
「うん」

言い返す言葉を思い浮かべられる程、器用じゃない。
悪意ある瞳にたじろかずにいられるほど、強いわけじゃない。
だけど。剣は裏切らないから。足りない言葉を、思いを、積み重ねた全てを伝えてくれるから。
手を胸元に当て、胸の奥の熱を確かめる。消えてしまわないように。もっと強く燃えるように。

「頑張ろうね、タマちゃん」
「うん。頑張ろう、ユージくん」

これから始まる変則の七人団体戦に、二人は強い意志で臨んでいった。
最終更新:2008年04月25日 23:31