私は室江高校一年九組に所属する女子生徒である。名前? 残念ながら名乗るほどのものじゃない。
入学してもう結構経つけれど、これといって友達らしい友達はいない。が、別に気にしてなかった。私にはあまり人様に言えるものではないけど趣味があって、それに没頭できてさえいればいいのだ。
まあ同じ趣味を持つ友人でもいたらそりゃ嬉しいところだけど、生憎とこの年齢でこういった趣味にハマっているということを大っぴらに話す女子というのは少ないだろうし、事実私自身、クラスメートに打ち明けたりはしていない。
……私の趣味。それはアニメや漫画、特撮といった、一般的に「オタク文化」と呼ばれるものだ。サブカルチャー? そんな専門用語は知っている時点で既にアウトである。
あまり人とは話したがらない性格もあって、私には趣味を共有できる友人というのがいなかった。別にそれに不満を持っていたわけでもないんだけど。
最近になって、実はこのクラスにはもう一人、私と趣味を同じくするかもしれない女子生徒がいることに気付いた。
その名も、川添珠姫。
見た目は中学生か、あるいは小学生かと見間違えるほど小柄で童顔な少女。口数は私に負けず劣らず少なく、故に目立たない。
表情を変えることもあまりなく、他のクラスメートからはなにを考えてるのかよくわからないと思われているみたいだけど、あれはきっと単純に人との接し方を知らないだけだ。類友としてよくわかる。

ある時、私は彼女の鞄に付けられたいかにもそれっぽいアクセサリー(アニメかなにかのキャラクターを模した人形だった)を見て、つい話しかけてしまった。それ、なんのキャラクター?
「え? いえ、これは……」
急に声をかけられて(そりゃそうだ)彼女は戸惑ったようだったけれど、
「なんかのアニメかな。それとも特撮?」
重ねて聞いた私に、彼女の目の色が少しだけ変わったように思えた。
「あの、これはその、10年くらい前にやってた、ブレードブレイバーっていう作品の……」
ビンゴだ。最初は恐る恐るといった感じだったけれど、その『ブレードブレイバー』なる特撮について私に語るうち、彼女の口調にはどんどん熱が篭っていった。
ちなみにそのブレードブレイバー、私もタイトルだけなら聞いたことがあった。確か私達が幼稚園くらいの頃にやっていたバトルヒーローシリーズだ。私は三年前の『ホストマンZ』からハマり出したクチなので古い作品は知らないが、かなりのヒットを飛ばしたらしい。
「で、これは、その中のレッドブレイバーに似せて、人に作ってもらったあたしの人形です」
ほう。どうやら彼女には彼女の趣味を理解してくれる友人というのがちゃんといるらしい。羨ましい話だ。私なんぞは中学の頃にどっぷりとこの道にハマってからというもの、人に理解されたためしがないというのに。
「……えっ? どうしてですか?」
聞き返されてしまった。
……この子、見た目もそうだけど、中身も相当に幼いんだろうか。このテの趣味は、ごく一般的な感性を持つ人間からすればイタいものとして扱われ、もうちょっと行き過ぎれば「ヲタ」のレッテルを貼られるのが常だというのに。
そういう常識を教えてくれる人はいなかったんだろうか。それとも、周囲がみんなそういった趣味を共有できる人ばかりだったんだろうか。……それも羨ましい話だ。ヲタでない普通の友人はいないの?
「え? い、いますけど……幼稚園の頃からずっと一緒の」
ほほう。それはいわゆる幼馴染みというヤツだろうか。一般人でありながらヲタと長年友人をやっていられるなんて、なんと出来た人だろう。是非私にも紹介してもらいたい。まあその人自身にそういう趣味がないならあまり意味はないかもしれないが。

ともあれ、それをきっかけに私とその少女、川添珠姫は少しずつ話をするようになった。
言うまでもなく、話題は専らアニメとか漫画とかコスモサーティーン(絶賛放送中)である。
そんな付き合いをしているうちに、私はこの少女がどんなキャラクターなのか、少しずつ理解していった。
一言で言えば、世間知らずだ。
取り分け男女の仲に介在する機微というものに疎く、なにか物凄く根本的な部分で性差というものを理解していない。同年代の男子が日頃どんなことを考えているものか、ちっとも把握していないのだ。
もっと言えば、男子というものを誤解している。思春期の少年が当然持っているであろう煩悩とかをまるっきりないものとして認識している節さえあった。
……恐らく、両親から蝶よ花よと大切に大切に育てられたのだろう。まあこの小っこい背丈と全然発達してない身体つきを見れば、ご両親の気持ちもわからないでもないけれど。
趣味を同じくするものが増えたことで少しだけ心が広くなっていた私は、そんなふうに考えていたのだ。
……のだけれど。

ある日の放課後、私は教室の入り口から知らない男子に声をかけられた。別のクラスの人だろうか。
「ちょっといいかな? タマちゃんいる?」
…………はい?
思わず口を半開きにして、私はその男子の姿を見返してしまった。
ぱっと見た限り、ヲタっぽさとは限りなく無縁な、爽やか好青年といった感じの外見だった。
華やかさという点ではそれほどでもないが(要するに地味ということだ)、しかし同年代の少年達にありがちな浮ついた雰囲気はカケラもなく、なんというか「近所のお兄さん」という表現がしっくり来る。
いや、それはいい。問題なのは、目の前のこの男子が口にした「タマちゃん」という科白だ。
それが川添珠姫を指す呼び名であることを、この時の私は知っていた。知っていたので、驚いたのだ。
……だって、親しすぎる呼び方だ。一体この男子、ナニモノ?
などと私が返答に困っていると、
「あ、ユージくん……どうしたの?」
こちらとは反対方向から、他でもない「タマちゃん」……つまり川添珠姫が姿を見せた。
……ちょっと、待って。この子、今なんて言った?
「あ、タマちゃん。ちょうど良かった。今日の部活中止だって」
「……中止? どうして?」
「ミヤミヤの話によると、キリノ先輩とサヤ先輩が先生の後を尾けてたらしいけど」
「……それでどうして部活が中止になるの?」
「さあ? 俺もよくわかんないな」
二人のやり取りを、私はただひたすら呆然と眺めていた。
……川添さん、普段と表情が全然違う。授業中とかと比べると、格段に豊かだ。それはつまり、この男子生徒……“ユージくん”とやらに、心を開いている、っていうことなんだろうか。
ていうか、「ユージくん」て。そして「タマちゃん」て。
下の名前で呼び合うなんて、余程親しくないとあり得ない行為だろう。それが男女となれば尚更だ。
彼女はそのまましばらく“ユージくん”と話していたが、やがて切り上げて教室へと戻ろうとした。「じゃあ、下駄箱で待ってるね」と“ユージくん”が言い残していったのが私としてはやたらと気になったのだが、それよりも。
「……川添さん。今の男子、誰?」
呼び止めると、彼女はこちらへと振り返り、あっさりと答えてきた。
「あ……今の人が、ユージくん」
いや、それは聞かなくてもわかる。私が聞いてるのはその“ユージくん”と一体どういう関係なのか、ということなんだけど。
「幼馴染みだけど……?」

稲妻が走った。というか落ちた。

……なんてことだ。
じゃあさっきの男子が、彼女が常々口にしていた「幼稚園の頃からの幼馴染み」?
私はてっきり、女子だと思っていた。そう勝手に思い込んでいた。それなのにまさか……男子だったとは。
話を聞くと、なんでも家が近所のため昔からの付き合いで、彼女の趣味にも小さい頃から変わらず理解を示しているのだという。
それだけでも私にとっては脳天を鉄槌で一撃されたような事実だというのに、更に彼は見た目通りの爽やか系でおまけに頭も良くてしかも剣道の腕まで立つらしい。
……そんな馬鹿な。そんな完璧な人間がフィクションでなく実在するなんて。その上それが幼馴染みだなんて。
その目に明らかな信頼の色(だけじゃないような気もしたが)を浮かべて先程の男子のことを説明してくる彼女の姿を見ながら、私は悟っていた。
……私とは、生まれ持ったモノが違うんだな、と。
同じ趣味を持つもの同士、なんとなく通じるものがあると思っていたけれど、それは私の思い違いだったようだ。

なんとなく、虚しくなってしまった。
最終更新:2008年04月25日 23:19