「…ダメですねー、こりゃ。給湯器の方の故障みたいだから、2~3日かかりますよ」

そんな業者の方のありがたいお墨付きを頂き、
めでたく我が剣道部の自慢のシャワールームは数日閉鎖される事になった…
しかし、人間の生理現象とは厄介なもので、冬とはいえ練習をしていると当然汗も出る。
特に一番寒いこの時期は、運動してかいた汗がそのまま身体を冷やし、風邪を引く事だってある。
むしろクサいだの何だのの夏場よりも事態は深刻なのだが…

「あっ、じゃあ、近くに銭湯あるんであそこ行きましょーよ」

能天気な1年女子の一言であっという間に事件はスピード解決した。
…と言っても、今剣道部にまともに居るのは顧問の俺とコイツくらいなのだが。
2年はもう試合も殆ど無く、来たりこなかったり。1年の男子はそれよりもっと酷く、
もう一人の一年の女子――サヤに至っては、この間まで真面目に通ってたかと思えば、
ここ数週間ばかりはまた、姿を見せなくなっていた。
…まあ、今はそんな事よりも、このべっとりかいた汗をどうにかしたい。

「よっしゃ、んじゃ行くか、キリノ」
「やったぁ!」

道場の外は既に薄暗く、空には不穏な分厚い雲がかかり、
何よりこの肌刺す寒さに身体の芯まで凍える思いだったが…
それでも、久々に向かう銭湯への足取りは軽かった。

▽▽▽

”かっぽーん。”

――――さて。
しっかり温まってさっぱりした所で…
バスタオルを巻き、腰に手をあてフルーツ牛乳をイッキ飲み。120円也。
これこそが銭湯の醍醐味。コーヒー牛乳?あんなもんは邪道だ。

それにしても、風呂の中でも当たり前のように男湯に声をかけてくるキリノには参った。
「先生、先にあがるよー?」じゃないっつの。隣のじいさん、年甲斐も無くニヤニヤしやがって。
…そう言えば後から入ってきた小太りのオッサンが外、雪降ってるとか言ってたな…
まあ、あの後も随分長い事湯舟に浸かってたし、キリノももう帰っちまった事だろう。
まさかこれだけの時間雪の中で待ってる程アイツもアホではあるまい。
先に帰っとけって言っといたしな。うんうん。
よし、俺も帰るとするか。

「ありがとう、ございましたー」

クツ箱の靴を取り出し、番台のおばちゃんの愛想の無い挨拶に押し出されるように外に出てみると―――
降りしきる大雪の中、向かいの塀の前に、想像を超えるバカが…ひとり。

「…キリノ」
「あ。…コジロー先生、遅かったっすね」

こちらが声をかけるまで気付かなかったのか、些か慌てた様子でこちらを覗き上げる。
風呂上りで降ろした頭の上には、もう何センチもの雪が積もっている。
こいつ…いつからここで待ってたんだ?

「頭こんなにして、何やってんだよお前…」
「あれ、うわ、そんな雪のってます?」

頭の雪を掃ってやると、照れくさそうに頬を上気させる。
目を凝らしてよく見ると唇も真っ青で、歯もカチカチ鳴らせている。
小さい身体が小刻みに震えているのも、コート越しに分かる。
…なんでこんなになるまで。

「…先に帰ってろって言っただろ?」
「えーお目付け役が先帰っちゃダメでしょ?それに中、待つとこなかったし」
「誰のお目付け役だ、一体… まあいいから、これ着てろ」

さすがに見かねて、フードにも溜まっていた雪を除け、上着を掛けてやる。
勿論同時にこちらの身体も冷えてくるが…まあそこは男の甲斐性ってもんだろう。

「あとこれでも…巻いとけよ」
「すいません…これ、マフラーですか?」

していた襟巻きも外し、キリノの首の後ろに回す。
少し狼狽した後、なにやらいやらしい笑みを浮かべるキリノ。何なんだ、コイツは。

「…コジロー先生もスミにおけないなあ」
「バカ、おふくろの編んだ奴だよ」
「なぁんだ、でも、あったかいっすね」
「恩に着ろよ」
「…生徒にそんな事言う先生、初めて見ました」
「別に返して貰えるとも思ってねえよ」

下らない会話を交わしながら、どちらからともなく学校に向けて歩き始める。
キリノは荷物が学校だし、俺は愛車を取りに戻らにゃならん。チェーン…積んでたよな、たしか。
……まあ、それに今日くらいはコイツを送ってやってもバチはあたるまい。

「ねえ、先生、そういえばシャワーはいつ頃直るんですか?」
「2~3日つってたけどな、業者さんは」
「なぁんだ…」
「ん、何か言ったか?」
「何でもないっすよ」
「変な奴だな」
「えへへ」

新雪の上に刻まれて行く二人の足跡。
ちょっとづつ、ゆっくりと…
最終更新:2008年04月20日 17:59