※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 もみんもみんもみん。
 一定の間隔で繰り返される腕の動きに身体を合わせる様に。
 ほわああああ、と言う意味不明な奇声をあげながら、キリノはそのリズムと運動がもたらす心地の良さに身を委ねていた。

 ―――溜息混じりに。あぁ、肩凝ったな、と言うお互いのボヤき声がシンクロしたのは、今日の最後の片付けがやっと終わった5分前。
 それからニヤニヤした二人が見合って、道場の中心でジャンケンの姿勢をとったのが遅れて数秒後。
 大仰な前フリの後、グーのコジローに対してパーを出したキリノが”かたもみ10分権”を手にしたのは、更にそれから数秒後の事であった。

 と言うわけで。久し振りに触れるコジローの手先の、そして指の感触にただ心地良くなるを任せていたキリノだったの、だが。
(…あれ?)
 肘と指先を駆使したコジロー得意の指圧が終わると、掌を使った肩揉みに入る。だが、感触が。
(なんか違うような…)
 それは殆ど、1年の時から日常的に顧問とこういうコミュニケーションを重ね、お互いのツボをすっかり心得たキリノにしか分からないような違いであった。
 だが、今日のコジローの掌の違いは何と言えばよいのだろう。
(こんな感じだった…っけ?先生の手って)
 その違和感に居ても立っても居られず、後ろにいるコジローに問い掛ける。
「…先生、ウデ落ちた?」
 折角気持ちよさそうにしているキリノの思いもよらない発言に、頭の後ろに多くの Σ を浮かべつつも、コジローの自分の技術への信頼は揺るがない。
「んん?俺の肩揉みは前にも言ったけど、お袋のお墨付きだぜ?」
「でもなんだか、今日は感覚が違うっすよ… 硬い、感じがする」
「ああ、そりゃひょっとしてこれのせいか?」
 ん? と一時肩を解放されたキリノが振り向くと、左の掌を大きく広げてみせるコジロー。
 間近で見るのは随分久し振りだったが……その手は、かつて見た事のある先生の手とは随分違っており――はっきり言ってしまえば、歪だった。
 指の付け根には何重にも潰したような血マメがつき、それが膨れてタコになっている。たった数日見なかっただけなのだが、今はまるで岩のようだ。

「…ちょっと、触ってみてもいいっすか?」
「ん?あ、ああ。いーけど」
 おそるおそる、小指のあたりを触りながら確かめる。少し触っただけでわかるその硬さは、ああ、確かにこれのせいだろうな、と思わせるに十分だった。
 自分の手をまじまじと触られ、照れくさそうにしているコジローが、それを気取られまいとするかのように喋りだす。
「…最近さ、ガラにもなく燃えちゃってるからな」
「それはまあ、見たらわかります」
 確かに、キリノの目にも分かるくらいに、最近のコジローは何と言うかそう……燃えていた。川添道場に行ってからは、更に拍車が掛かったかも知れない。
 そんな、思い詰めた様に自分を燃焼させるコジローを心配する気持ちも無いではなかったが、どこか古風なキリノの感性には…
 何となくそれは生徒の、まして女の立ち入るべき領分では無いように感じられて今の今まで口を挟めずにいた。
 とは言っても、そうしたコジローの変化はキリノ自身喜ぶべきもので、決してやぶさかではなかったし、何より
(先生、目が穏やかになったよね)
 そんな張り詰めた空気を全く表に感じさせない、澄んだまっすぐな瞳。そこに感じる余裕が、キリノをどこか安堵させていた。
 或いは先生として以上に――男性として、頼もしく感じていた、とも言えるかも知れない。
 ともあれ、そういうキリノの気遣いを意にも介さず、今度はその左手をやや誇らしげに見つめながら切り出すコジロー。
「こんなもん出来たの、高校の時分以来だぜ。今までだって小さいのはあったんだけどな」
 竹刀を振り続けると掌の、特に指の付け根の部分にマメができ、何度も繰り返すうちにそれを潰し、更にその上にまたマメができ、また潰す――そうして竹刀ダコという物は作られる。
 今コジローの両手を歪にしているそれは、何より雄弁に彼のここ数日の努力を物語っていた。
 おそらく、教務をこなし、顧問の仕事を終えた後でも素振りを繰り返していたのだろう。しかもそれは尋常な回数ではなかった筈だ。
 しかし、”何が”彼をここまで駆り立てているのだろう?キリノにはただ、それだけが不思議でならなかった。
 おそるおそる触っていたコジローの左手をぎゅっと掴み、問う。
「…そういえば理由、まだ教えてくれないっすよね?」
 逃げられないようにロックされた左手をちらと見やると、少し困った顔で切り返すコジロー。
「んーむ、先輩と試合をする事になった所までは話したよな?」
「それでなんでそんなになるまで燃えちゃってるんですか?」
「そこから先がなあ…うまく説明できんのだが…」
 男には――抑えられない衝動に駆られる時が、ある。
 自分の出来る、最大限度の”男”と言う生き物に対する理解――いつかキリノ自身が町戸の原田さんに教えてあげた言葉でもある。
 正直、自分がいつ、どうしてこんな理解に辿り着いたのかはわからない、が、それは子供の頃から漠然と描いていた、自分や母とは違う男性、というもののイメージであり…
 父や弟や同級生の男子、学校の先生らを目敏く観察して作り上げたキリノの描く”男”像そのものだと言えた。
 そう言う自身の理解をもういちど反芻し、同時にこれまでのコジローの態度も掘り返すと、ひとつの結論が見える。
「昔を思い出しちゃってる、とか?」
 キリノとしては、かなり正鵠を射たつもりの言葉にも、しかしコジローの反応は鈍い。

「そうだな――いや、でも、それだけでもないな」
 相変わらず自分の左手を握ったままのキリノの熱心な問い掛けに曖昧な返事を返しながら、コジローは考える。
 分かっている。いま自分を突き動かしているのは――モラトリアムからの脱却のようなものだ。いわば、通過儀礼。
 しかしそれを、まして生徒に口にしてしまう事は、このトシにして恥ずかしい、と言うよりも。
(夢を壊しかねん。)
 うちの部にも、将来的に、教師を目指したいと思う奴がいないとも限らない。
 いや現に、確か岩佐の志望はそうじゃなかったか。目の前にいるキリノだって、もしかするとそうかも知れない。
 自分はそう言う奴等に――いや、大人と言うものに漠然とした幻想を描いてるであろう全ての生徒に…
 その夢を壊さないような、お手本を示さなければならない。もう遅いかも知れないが、せめてこれからは。
 そう言う気遣いが出来るようになった事もまた、コジローが川添道場で得たものの本質だと言えた。
 しかし、その言葉足らずな回答は余計にキリノの疑問に拍車を掛ける。

 ”それだけではない”――では、何があるのか?
 コジローの曖昧な返事に一瞬、キリノの多大なる好奇心が首をもたげたが、だが、そこまでであった。
 キリノの思考は複雑に入り組んでいるようで、だが最終的にはいつもシンプルで素直な答えを導き出す。
 そのコンピューターが、コジローの今持とうとしている”大人の強さ”に敏感に反応し、突っ込む事への警鐘を鳴らしたのだ。
(……これ以上は、聞いちゃいけない、か。)
 そう断じると、しばらくの沈黙を続けた後、おどけるように切り出すキリノ。
「…でも、もうコジロー先生の足の裏ぷにぷにだなんて、言えませんね」
 そう言えばそんなこともあったな、と思い出しつつ、その言葉に、かえって決意を新たにしたように、コジロー。
「いいや、まだまだ。先輩との試合の日まで、みっちり身体をイジめ抜かないとな。」
 そう言うコジローの顔は、キリノの目には、まさにその――抑えられない衝動に駆られた異性の目、そのものに見えた。
(かわいい大人だねえ、ほんとに)
 内心でそんな事を思った自分の上から目線ぶりに少しおかしさを覚えながら。
 無理はしないでね、とだけ心配の言葉を残すと、ぎゅっと掴んでいた左手を離し、振り返って再びコジローに背を向ける。
「でもその前に先生?肩揉み、まだあと5分くらい残ってるんですけどぉ~?」
 そう言って目の前にちょこんと座り込み、肩揉みを促すキリノにへいへい、と生返事をすると再び肩に手を掛けるコジロー。
 もみんもみんもみん。
 先と同じ手同じ指により、同じ周期の運動で再び紡がれるリズム。しかし今度は、違和感は無い。
(……むしろ、カタキモチイイ?)
 ふあおおおおおお、とこれまた意味不明な奇声をあげ、心地良さに酔いしれるキリノ。
 ふと、寝ている先生の、足の裏を触って確かめた時のぷにぷに感が頭をよぎる。……と同時に、懐かしまれた。
 ――――思い返すに。

「もう少し、ぷにぷにしとけばよかったかな、あの時」
「何の話だ?」
「いえ別に。ふふふ」


(終)