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――――ハァハァ、ハァ。

(いない…… どこにも……)
全力で走った。探した。
心臓の音が、近くに居る人にも聞こえそうなくらいに膨らんでいるのが、わかる。
おトイレ?…もう探したよ。会場の外?まさかそんな。何をしに?いやいやそれよりも。

(………どうして?)
三ヶ月前の出来事がよぎる。

今まで、あの人のする事は、全部わかった。
だから、あたしはいつもあの人の行動に理由なんか求めなかった。

それが崩れたのが、あの渡り廊下でのこと。
初めて……初めて、あの人のやろうとしてる事が分からなくなった。
だからつい、生の気持ちをぶつけちゃった……筈だった。

助けてくれなかったから?何もしてくれなかったから?ううん、たぶん、違う。
あの人が、何かをもう勝手に決めてしまったみたいな顔をしていて……
それをいつもみたいに話してくれなかったのが、不安だったから。
そして、それがあたしにとってすごくイヤな事だっていうのが、分かっちゃったから。
だからあの時は、必死で悩んだし、サヤにも一杯迷惑かけちゃった。

でも、だから……だからこそ、あの時は。あの事は。
外山くん達の気持ちを汲んであげてくれたんじゃなかったの?
もう、居なくならないって、逃げないって、決めたんじゃなかったの?

「ずるいよ……コジロー先生」
呻きにも似た呟きがもれると、背中の方から呼ぶ声がする。

「キリノー、どしたのー??」

その声の主――サヤは遠目でこちらを確認すると、心配そうに近付いて来る。
でも今のこんな姿は見せられない。切り替えなくっちゃ。The・部長、The・部長。

「ん~ん?なんだかね、コジロー先生がさ、ちょっと……」
言葉に出すとそれがそのまま本当になってしまいそうな気がして、咄嗟に口ごもる。
でもこれは、話さないといけない。サヤに何かを気取られても、いけない。

「先生……どっか、行っちゃったみたい。……きっと先に帰っちゃったのかな?あはは、ダメだねえ、最後までテキトーな先生だねえ。ほんとに…」
「はぁー?今度はまた何やってんのよあの顧問は……」

サヤはまだ、怪訝そうな顔をしている。
でも大丈夫。何も変わってない。先生だって……
あたしの思い過ごしで、ただのいつもの気まぐれなのかも知れないんだから。

「みんなも心配してるよね?……戻ろ?」
「そうそう!タマちゃんの次の試合、もう始まっちゃうよ!」

大丈夫、大丈夫……そう思って走り出そうとしていた矢先に、サヤが立ち止まる。
急ブレーキも利かず、勢いよくサヤの背中に顔をぶつけると、悠然と振り返るサヤ。
鼻を押さえるあたしを見るその顔は少しも笑っておらず、あたしにこう告げた。

「キリノ」
「およ?」
「……”最後まで”って、どういうこと?」

その言葉を咀嚼する為に思考が止まり、再度動き出すまでに数秒。

(最後まで……? あたし”最後まで”って言ったっけ……?)



「めェェーーーん!!!」

完全に吹っ切れたタマちゃんの威勢の良い掛け声だけが、妙にハッキリと聞こえた、気がした。

      ※      ※      ※       ※      ※      ※      ※

様々な人の想いが交錯した昇龍旗高校剣道大会。
室江高校の結果は、女子の部優勝・川添珠姫、男子の部準優勝・中田勇次。ほか。
あれから半年が経過した道場には、その輝かしい賞状が一番目に付く所に揃って飾られている。そして。

「ありがとうございました!」

いつもと同じ、今日一日の練習が終わる。
代理で監督をしてくれている吉河先生は、未だにこの締めの礼には慣れないらしい。
普段通りにゆる~く練習を始めて、タマちゃんをお手本にそれぞれの技を磨き、メニューを消化すれば終了。
半年前と何も変わっていない、変わらない、日常のひとコマ。
―――ただ一人、顧問だけを除いては。

……いや、二人だね、と心の中で付け足したのは、サヤ。
彼女はいい加減業を煮やしていた。何に?その煮え切らなさに。
思えばこの半年間、親友の――キリノの心からの笑顔というものを一度たりとも見ていない。
しかしそれなのに、自分の弱さを見せたがらない彼女は、以前までと少しも変わらない作り笑顔を部員たちに向け続けている。
そのギャップに、勘のいい部員たち――ユージくんや、ミヤミヤとダンくんのカップル――はもう既に気付いていたようだったが、
サヤも含め、当人たちにはそれをどうする事も出来ずに、時間だけは淡々と進み、ずるずるとここまで来てしまった。

(……正直、針の筵だったわね、この半年間。)
練習後。サヤが過去を振り返り、”最後”にコジロー先生が居なくなった日の事を思い出していると。
シャワーを浴び、そそくさと着替えを終えたキリノが考え込むこちらを不思議そうに見ている。

「サヤぁ~?着替えないの?風邪引いちゃうよ?」

呼ぶ声に反応し、サヤがその目をまじまじ見れば、見るほどに……
やはり、その笑顔はどこか、淀みを孕んでいるように見える。
そして同時に、沸々と湧き上がるものがある。

「ねえ、ミヤミヤ。…とタマちゃんとさとりん。ちょっとキリノと二人で話したい事があるんで…いい?」

居ても立っても居られずに人払いをお願いすると、
逸早く何かを察したミヤミヤが着替えの終わった二人を連れて出る。
すると広い更衣室はサヤとキリノだけの空間になった。
訝しがるキリノにサヤがまず声をかけると、同時に彼女も声を発していた。

「キリノ」「サヤ」

声が重なると、ん、とお互いが言葉を飲み、どうぞどうぞと譲り合う空気になる。
こういう時、いつも焦れるのが早いのはサヤなのだが、今日はキリノの方が早かった。

「あたしらもうじき――卒業、だよね?」

キリノの口から発せられた、卒業、という単語。
サヤにはその意味はほぼ分かってはいるのだが、
ついいつもの付き合い方の延長で、反射的にとぼけたフリをしてしまう。

「え?あと1年あるでしょ」
「そうじゃなくって、剣道部から、ってこと」

そう、卒業――サヤとキリノの二人に残されている時間はもう、本当に少なく、
カレンダーの日付で数えても両手で余るほどしか、ない。
ともあれ、その発言の意図をサヤが掴みかねている内にキリノが続ける。

「色々あったけど、楽しかったよねえ、剣道部――」

そう言うキリノの表情に、反射的に嘘、を感じたサヤが、咄嗟に合わせる。

「……本当に?」

途端に静寂が場を包み、サヤのごくり、と生唾をのむ音までが部屋中に響く。
一方のキリノはサヤが何を言いたいかをほぼ把握しているかのような口ぶりで、困ったような顔で。

「…またその話、するの?」

その答えに、またじゃないよ、と感情を昂ぶらせるサヤに、あくまで冷静なキリノ。

「言ったじゃない。……もう、いいんだよって」

こんな形だけのやり取りがこの半年間、何回繰り返された事だろう?
サヤが衝動的に思い立っては疑問をぶつけ、それにキリノが曖昧な返事をするだけのやり取り。
回数こそ少ないが、時にはその疑問を発する声がミヤである事もあった。
その度にキリノは、のらりくらり、自分の本心を隠すように……
いや、向き合う事から逃げるように、このような押し付け問答を退け続けてきた。
しかし未だ納得のできないサヤが実に何度目かの怒りに再度、火をつけて問う。

「じゃあ……ホントに、この部で、やり残した事は無いの?」

キリノが何故、こうなったのかは――サヤでなくても、最早ほとんどの部員が熟知していたが、
とりわけサヤにだけは、その明確な転換点が分かっていた。あの、キリノが先生を追い掛けて行った――”最後”のときだ。
キリノが避け続けている、振り返る事の出来ない「後悔」が、きっとあそこにはある。
しかし分かっているのか分かっていないのか、キリノの反応は冷たい。

「そうだねえ……一杯あるよ。けっきょく団体戦で結果を残せなかったこと、とか……」

その、あまりに的外れな返答にカチンと来たサヤが思わずキリノの肩をがしっ、と掴むが、
おょ?という具合に、あくまでいつもの態度を崩さないキリノ。
構わずに、そのまま言葉を紡ぐ。

「そういうコトじゃないのよ」
「…え?」
「……あんたもう、部長じゃなくなっちゃうんだよ?」

サヤはキリノの肩をがっちり掴んだまま、真正面からキリノの目を見据えている。
その、嘗てない程の剣幕に気圧されるも、マイペースな表情は崩さない……ように見える、キリノ。

「あたし、いつか言ったよね。部長だって、部員なんだって。……あんたは聞きゃしなかったけど」
「……うん」
「それでも、あんたが部長だって言うんだから、あたしは止めなかったよ……けどさ」
「……」
「でも、だったら、その責任くらいちゃんと取りなさいよ!」
「責…任…?」
「そうだよ!あの、途中で全部投げ出してどっか行っちゃったバカ顧問を、探してきなさい!……部長なんだから!」
「でも…」
「あんたもう、あの先生と、二度と会えなくなっても平気なの?」
「……」
「この剣道部は、あんたとコジロー先生を繋ぐ、唯一のものでしょ?」

―――それをやらない内は、やり残した事がないなんて言わせない。
サヤがそこまで一気に喋りきり、過呼吸気味にげほんげほん、と咽ると。
その様子を心配そうに窺いながら、あたしね、と小さな声で喋りだすキリノ。

「……あたしね?サヤは知ってると思うけど、あの――昇龍旗の、コジロー先生が居なくなった時にね?
 本当は、外まで探しに行こうとしてたの。タマちゃんの試合も、ユージくんの試合も、全部ほっぽっちゃって」

瞳を潤ませつつ、何故そうしなかったの、と問い返そうとした口を瞬時にふさぐサヤ。
(行けるはずが、無い――この子に。)
すっかり力を失った、肩にかけられた手を優しく撫でながら、キリノが更に続ける。

「でも、行けなかった。なにか、コジロー先生が、あたしに”任せたぞ”って、言ってる気がして。
 勿論、サヤが呼び止めてくれたお陰もあるけど……行けなか…った」

キリノはどうにかそこまで言い終わると、後は涙声でぽつりぽつり、と呟くだけだった。

「……ふ、ひっ……うぅ…っ……たし、まだ何も………なんにも……えて…ぃのに……」

その小さな双肩に課せられた責任という重み。サヤはそれを想像するだけで眩暈がしそうだった。
かつて一緒に背負ってあげるから、と言いながらも、自分は結局、何もしてあげられていない。
慙愧の念に自分までも押し潰されそうになる。……しかし。
キリノの涙を指でぬぐいながら、サヤが口を開く。

「……やっと、あたしの言う事、聞いてくれたね、キリノ」
「…っく…っ……何…?」
「前に言ったでしょ、泣いていいんだよ、苦しんでいいんだよ、って」

涙をぬぐう手を頭に移し、俯くキリノの頭をぽんぽん、と撫でると。

「でもねキリノ、あんたも一つ勘違いしてるよ」
「……え?」

サヤには確信があった。

「あんたが信じた先生はさ、確かにいい加減でだらしなくて頼りないけど、少なくとも生徒の事は見てる人だよ」

(――悔しいけど、あたしがあんたを知ってるよりも、あんたの事をよく知ってる。)
自らの思考にちくり、と感じる胸の痛みにも、サヤの口の動きは止まらない。

「そういう人が、あんたを置いて一人でいつまでも悲しませるような事、しないと思うよ、あたしは」

その言葉にうん、と頷くキリノも、どうにか普段の落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
その様子を見て安心し、手はキリノの頭に置いたまま、もう片方の手で自分の涙をぬぐう。

「でも、ああいう人だからさ。きっと、バツが悪くて出て来られないんだよ。それを引っ張って来るのが……来たのが。あんたの役割、だったでしょう?」

その意見を――今度はあんたが、向き合わなきゃならない番なんじゃないの、と締め括ると。
まだ涙目ながらもキリノはサヤの方を見上げて、笑ってみせた。

「……ありがとう、サヤ」

その笑顔に、この半年間感じていた淀みのようなものは……見て取れなくなっていた。

「いいんだよ。友達じゃないか、あたし達」
「へへっ……いいもんだね、友達って」

にこやかに交わされる取るに足らない会話に、
止まっていた半年という時間がようやく動き出した事を実感する。
しかし、よくよく考えてみれば、疑問がひとつ。

「ところで……コジロー先生って今何してるの?実家とか?住所とか調べられるのかな…」
「神奈川県○○○郡□□町……」
「わかった、わかりました。参りました。……じゃあ、さっさと行って来なさい」
「うん!……ホントに、ありがとう、サヤ」

それだけ言い残すと、キリノはもう走り出していた。

一方のサヤは……その背中にまったくもう、と呟くと。
続けて道場中に響くような、大きなクシャミがひとつ。

「ひあっくしょん!」

稽古で汗を吸いまくった剣道着に体温を奪われ、
風邪を引いたサヤが残りの貴重な部活の時間を棒に振ってしまったのは……可哀想だが、また別の話。