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―――こつ、こつ、こつ。
春の夜更けの暗がりに、足音がみっつ。前にふたつと、少し離れて後ろにひとつ。
前のふたつに比べると、後ろの方の足音は――気取られないように歩いているとは言え、それでも――かなり、小さい。

随分日が暮れるのも遅くなってきたとは言え、太陽はもう完全に沈み、夜はいよいよ本格的にその帳を下ろそうとしている。
前を行く二人――キリノとサヤは、その尾行者の存在には道場から既に気付いていたものの、電車の中でもあえて放置していた。
しかし、家が近付くにつれ、無視を続ける事に段々と痺れを切らしかけていたサヤが

「……でも、どこまでついて来る気かしらね?」

と言うと、キリノもそうだねえ、と何か心配そうに相槌を打つ。
じゃあ、とサヤが促すと、前を行く足音二つは突然その歩く速度を「走る」のと変わらない程度まで速めた。
それに慌てた尾行者が、離されないよう同様に歩速を速め、曲がり角の電柱を曲がった所で。

「……わっ!」

突然の横からの大きな声に、飛び上がりはしないものの、たじろぎ、絶句し、身構える尾行者。
驚かせた声の主は、サヤ――どちらかと言えば、声よりも、そのぬっ、と現れた体躯の大きさに驚いた、と言う方が正しいかも知れない。
さらに電柱の陰からもう一人。ごめんねえ、と頭をかきながら出て来るキリノ。

「えへへー、びっくりした?……忍ちゃん。ホントにごめんね」

おどけるキリノの態度にむす、と頬を膨れさせる尾行者、こと――外山の妹、忍ちゃん。
先日入部したばかりの彼女は、若干折り合いが悪そうなミヤミヤを除けば、タマやサトリといった2年生にはそれなりになついているものの――
何故か、3年生であるキリノとサヤには、一定の距離を置いているようだった。
その壁は今日も健在のようで、どうして?と尋ねるキリノにも、押し黙るばかりで梨の礫である。
しかし兄譲りの眼光の鋭さは今もしっかりと二人を見据え、キリノとサヤに体格の優位を感じさせない。

(――この二人の、どっちかが。)

自分から兄を奪い、そしてまた兄から剣道を奪った張本人。
高校に入った兄が、剣道を始めて、少しづつ自分から離れてゆき……
そしてその剣道も、ある人の為に続けられなくなった、と聞いたのが半年前。
それは全部が、とは言わないまでも、半分以上が忍の誤解であったのだが、何より気に入らなかったのは。
”その人”の事を語る時の兄の声の調子がいつも、普段と違って聞こえていたから。

そんな忍の気持ちを慮れ、というのは流石に……勘の鈍い方ではない――むしろ、時には常識外れの感性の鋭さを発揮する事もある――キリノとサヤにも聊か無理が過ぎた。
元々こういうタイプが余り得意ではないサヤが、少々腰の引け気味に

「何の用だったの?」

と問いかけ、しばらく経つと漸く、堅くへの字に閉ざされていた口から言葉が漏れた。

「……お二人は、お兄ちゃんとは…」

それだけ言うと再び口は貝の様に閉じられ、視線を横に流す。
およ、と言う感じで頭の上に無数の疑問符を浮かべるキリノに、隣のサヤは……数秒考え込んだあと、ああそうか、と言う顔で。

「……友達だよ。進む道は違っちゃったけど」

咄嗟に嘘だ、と言いそうになる言葉を忍が飲み込むと、その代わりに、より一層鋭い眼光を向ける。
――自分の知る兄は、家族の贔屓目で見たとしても、決して人付き合いの上手い方ではない。
友達と呼べるのも、おそらくは、小さい頃から家同士での付き合いのある、誠の兄の――勝さん、ぐらいのものだっただろう。
しかし自分はそんな不器用で、どちらかと言うと粗暴でさえある兄が、時折見せる優しい所が大好きであったし、それを知っているのも自分だけ、と言う自負があった。
そんな自分と兄の関係にずけずけ入り込んで来る部外者。まずはそんな所が、”その人”への第一印象であったかもしれない。
そして兄から剣道をも奪った”その人”は、1年の頃からの知り合い、すなわち現・3年生で、同じ剣道部の部員で、しかも……女の子。
……つまりは今現在対峙しているこの二人のどちらか、なのだが。

膠着がいよいよもって収まりがつかなくなって来た所で、
先刻から頭に疑問符をたっぷり浮かべていたキリノが忍の頭をむんず、と掴むと。

「何が知りたいんだかまだよく分かんないけどさ、こんなとこで立ち話もなんだし、あたしんちでお話しようっ!行くよサヤ!」
「おう!」

そのまま物凄いスピードで走り去る二人…と生贄が一人。
3人が消え去った電柱の影では、独特のフォルムをした猫、に近いような猫ではない何か、つまりは――ねこが。
ひょっこりと姿を現し、とぼとぼと歩いたかと思うと、またどこかへと消えていた。

………

「ただいまぁ!」

3人が辿り着いた、キリノの実家――惣菜ちばでは、閉店を控え最後の売り切りセールにキリノの父と母が精を出している。
キリノはお店のカウンターごしに父と母に声をかけ、サヤと忍に少し待っててね、と言い残すと、そのままお店の内側に入り込み、腕まくりをしてエプロンをかけ仕事を手伝おうとする。
しかしそれを、メンチカツの箱詰めをしている母親が制した。

「お友達がいるんだから今日はいいわよ、家にあがって貰いなさい」

その言葉に渋々はぁい、と引き下がると、行こう、と住宅の玄関まで先導するキリノ。
がらがら、と音を立てて戸口を開きもう一度ただいまぁ、と言うと、居間の奥の方から威勢良くひょっこり飛び出した顔が、ふたつ。

「あ、おかえりねーちゃん!」
「おかえりー」
「うん、たっだいまぁ!たっくん、悪いんだけどお茶三人前、あたしの部屋におねがいねー」

元気な声でおっけー、と答えると、猛スピードで忍ににじり寄り、返す言葉でまたも元気な声。妹も続く。

「剣道部の人ですか?はじめまして!」
「はじめましてー」

らんらんと目を輝かせて挨拶をするキリノの弟と妹。慣れたものの姉は先にてくてくと階段を登りながら、

「そうだよー、忍お姉ちゃんだよ、仲良くしてあげてね」

と答えるが、肝心の忍は靴も脱がずに立ち尽くし、その、のっけから異様に高いテンションに気圧されたまま、眉をしかめている。
初めはその様子に苦笑していたが、流石に見かねたサヤが、

「はいはいお姉さんたちちょっと大事なお話があるからどいててねー」

と気を回し、忍の靴を脱がせ、自分に特によく懐いている妹に軽く手でバイバイをすると。

「さあ行こう行こう!」

とまだ渋る忍の背中を押す。
そのまま階段を登り、キリノの部屋へ。

………

「はあい、お茶が入ったよー」
「ありがとー、たっくん」
「忍姉ちゃん、サヤちゃん、ごゆっくりー」

ばたん。テンションの源が去ると、途端にキリノの部屋は重いムードに包まれる。
今日の主役の忍はと言うと、部屋に入りはしたものの、片方の手で座布団の端のヒモをいじりながら頬を膨らせたままだ。

「……で、ホントに何のお話だったの?黙ってたら、わからないよー」

自分で招いておきながら、これでは意味がない、とキリノが切り出すと、それを制するかのようにサヤ。

「お兄ちゃ…お兄さんのお話、だよね?」

その言葉にぴくり、と反応すると、消え入るような声で。

「お兄ちゃんが、剣道辞めなきゃいけなかったのは、ある人のせいだって…」

それは厳密には忍の知りたい事とは違っていたが、逆に意味を絞った分、より正鵠を射ているとも言えた。
途端に青ざめ、言葉を失うキリノとサヤ。二人が同時に考えたのは、

(…その事か。)

と言う事であった。ある程度想像は出来ていたサヤに比べて、キリノの反応はより、重い。
それはね、とサヤが口を開こうとすると、今度はキリノがサヤを制する。

「サヤごめん。あたしから言うよ。……忍ちゃん」

布団の敷かれたベッドに腰掛けているキリノは、ひとつ大きな嘆息をつくと、

「外山くん…お兄さんはね、あなたも知ってると思うけど、去年、ある事件を起こしちゃってね」

事件、と言う言葉にびくん、と反応する忍。
その事は勿論知っている。顛末も、大体の所は。しかし。

(あれだって、相手が悪いのにッ…!)

客観的に事件のことを知らない忍には、家での兄の態度の僅かな違いから判断するほかなかったが――
少なくともあの晩の兄は、満足そうではあった。そういう時の兄が、ケンカを「売ったものではない」時に多い事は承知していたし、
そもそも兄が「事件」になるほどの大暴れをする時は――池袋や渋谷といった、「外国」に出かけて行く事は、普段から兄に聞かされて知っていた。
その理由は、地元では大っぴらに暴れられないから、と言うそっけないものだったが……そこには、或いは――父や私に迷惑をかけないために?――と考える余地があり、実際自分はそう信じていた。
だからあの事件は、兄だけが悪いのではない。相手も悪い。ケンカは両成敗。それで、終わるだけの、いつもの話であるはずだった。
―――学校からの連絡の中に部活休止の話があり、それを聞いた兄の形相が変わるまでは。

(絶対、許せない…!)

最早忍の怒りは理不尽の域に達しており、日頃の何でもない鬱憤までもを”その人”にぶつけかねない勢いだったが
そんな事情は露と知らないキリノは、「剣道部側から見た」あの事件の顛末を話す他にはない。

「…でね。その事件の責任をとったって言うのかな……剣道部を巻き込まない為にね。身を引いてくれたの」

さらに横で見ていたサヤがフォローを付け加える。

「でも、それはコジロー先生が休職で責任を果してくれたから、今は剣道部に居られるはず、なんだけど…」

忍は座布団に正座し、俯いたままで黙って聞き続けている。
今度は「責任」。兄にはいかにも似合わない言葉だ。しかしその為に、兄は剣道を――自分を遠ざけてまで、選んだ剣道を――棄てなければなからなかった。
勝さんとの電話の中にあった「あのバカに貸しを作るなんて、冗談じゃねえ」というフレーズ。そしてそれを少し照れくさげに話していた兄。
”その人”の為に責任を取った兄。自分ではない誰かに向ける、自分には決して向けられない種類の優しさ。
膝をつかんだ指の形が、脚に跡を残しそうなほど食い込んでいる。

その怒りは理不尽の域に達していた。
その耳には、最早キリノの声など届いていない。

「……居られなかったんだと思う。でも、そうしてしまったのはあたし達なの。だから、あたし達は外山くんたちの分まで、剣道を楽しまなくちゃいけな――」

「もういいよ!!」

勢いよく立ち上がると、正座をしていた足の痺れにふらつき、手近のタンスに寄りかかってしまう。
大丈夫、と気遣うサヤの手を跳ね除け、涙を一杯に溜めた目でキリノの方をきっ、と睨むと、

「お兄ちゃんが…お兄ちゃんが!そんな優しさを、全然あたしの知らない他人なんかに向けるわけないじゃない!」

千葉家中に響き渡るような怒声を残し、出て行く忍。
サヤとキリノは、しばし呆然としたあと同時に

「ふう」

とため息をついた。
視線を窓の外にやり、勝手に連れてきちゃったけど、帰る道わかるのかな、と心配そうなキリノに、そんな事よりも、と少し青い顔をしたサヤが言葉を紡ぐ。

「それより…大丈夫かねえ?明日、いきなり退部しちゃってたりとか……」

それを聞き、キリノは少し考え込むと、

「んーまあ大丈夫でしょ」

軽い口調ではあるが、その言葉には確信があった。

「きっとあの子も、ちょっと変なカタチだけど……剣道に興味があるんだよ。大好きなお兄ちゃんが、好きだった剣道に。」

そのキリノの分析は――先に気付いた分、より忍の心情に寄り添えていると言う自負のある――サヤには、やや的外れにも聞こえたが。
それでもキリノらしいね、と言う微笑の対象になるには十分だった。そして、

「そうだね」

とだけ返すと、返す言葉で外山を斬る。

「しかし、外山くんって家では…シスコン?」

二人目を見合わせると、似たような光景を想像できたのかぷっ、と吹き出すキリノとサヤ。
それはそのまま笑いの渦へと二人を誘う。

「……あっはっはっは!」

――あの、あの外山が。
家では、しのむー、とか呼んでたりして?
じゃあ、アキ兄ちゃん、とか呼ばれてて?
二人で仲良く、DSで遊んでたりとか?
いやいや、お兄ちゃんまたあたしのシャンプー使ったでしょ!とかって怒られてたり?
妹に手を出すやつは俺が許さねえ!とか?
うんうん、で忍ちゃんの結婚式では男泣きに泣きじゃくるんだよ、ねえ?

流石に行き過ぎた想像も随所に見られたが、とにもかくにも二人は床をたたき足をジタバタさせ――腹の底から、笑った。
それがひとしきり収まってくると、あ~あ~あ、と涙目のサヤが、指で涙を拭きながら言葉を漏らす。

「……しっかし、えらいのに恨まれちゃったねえ、キリノ。ああいうタイプは長引くよー」

それを聞くと――自身もまだ笑いの余韻の渦中ではあったが――先程と同様、再び頭に大きな「?」をえがくキリノ。
たまらずにこぼす。

「およ?なにが?」
「えっ、だって…あの子が目の敵にしてるある人ってさ、まんまあんたの事じゃん」

その、返って来た言葉にキリノの頭の上の疑問符はさらに大きなものになる。
ある人?目のカタキ?……サヤの言葉の意味がさっぱりわからない。

「???」

まさか、ホンキで分かってなかったの、と今更になって冷や汗をかくサヤ。

「言ってたじゃない。ある人が原因で、剣道部を辞めなきゃいけなくなったって。……もしかしてあんた、気付いてなかったの!?」
「ほえ?それがなんであたし?」

目をぱっちりと開き、完全にネコの口で?マークを乱舞させているキリノにいや、だからね、と少々困り顔のサヤ。
これをどう説明したものか。端的に言えば――キリノの事が好きな外山は、キリノに迷惑をかけまいと退部届を出した、そして忍ちゃんはそれを恨んでいる。ただそれだけの事なのだが。
――ええい、考え過ぎるのも自分らしくない。

「…外山くんが、あんたの事が好きで、あんたの為に責任とってくれたって事でしょう?」

は?と未だ目を白黒させるキリノに、畳み掛けるサヤ。

「退部届、出したのなんて…あんたの事が好きだからに、決まってるでしょ?」

え、えええ、えええええ、と、うっかりキーボードの”E”のキーを押し過ぎた時のような異様な文字列を並べるキリノ。
その顔は高潮と言うのか混乱でなのか、とにかく紅くなったり青くなったりいそがしい。

「……サヤは知ってたの?」
「まあ、なんとなくはね」

咄嗟にキリノと視線を合わせ辛くなり、部屋の中のものに行き場を探す。
サヤはキリノが――黙っていた事を、怒っているのではないか?――と思っていたが、それは杞憂だった。
キリノは瞬時に表情を落ち着かせると、真剣に悩む顔を見せる。

「でも……嬉しいけど。複雑だけど……困っちゃうなあ、それは……困る……」

その態度に、今度はサヤがほえ?と言う顔を見せ、どうして、と問うと。

「だってあの時は……そんなふうに考えなかったし……」

それに、とキリノが続け、サヤがふんふん、と頷くと。

「あたしもう、好きな人いるしねー」

っは、と、驚愕とも感嘆とも快哉とも付かない歓声をあげるサヤ。
よく見ると……キリノの視線の先には――いつ拵えたのかも分からないが――枕元に並ぶ無数のコジロー人形が、どっさりと並べられている。

(にひゃ、にひゃくごじゅうろく……?)

その一番端の人形に付けられたフダには、コジロー人形Mark256、と銘打たれており――否応無しに、キリノのこの半年間がどんなものであったか、想像させられた。
それをうっとり、という視線で眺めるキリノにはいはい、と嘆息を漏らしながらも。

「……あんた、こないだの一件以来、随分と感情表現がストレートになったわねー」
「ええー、そうかなあ?」

苦笑混じりにサヤがそう告げると、やや不思議そうにはにかむキリノ。

「いやいや、いいコトなんだよ、きっと」

そうとだけ告げると、座布団から立ち上がり、大きく伸びをするサヤ。

「…どっちにしても!あと3ヶ月かぁ、なんて思ってたけど……」
「うん!これから楽しくなりそうだね、剣道部!」

思い返せば、この半年間、今キリノの部屋でこんな事を話しているなんて想像もできなかった、サヤ。
完全に沈んでいた自分を恥じると共に、新たな心の強さを、確かな拠り所を手に入れた、キリノ。


二人は、身体じゅうで実感していた。
止まっていた時間が、ようやく動き出したのだと。



[終]