あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま
出勤しはじめて3日目。僕は、女の子に、恋をしてしまった。
恋に落ちる瞬間は、あまりにも突然だった。
水曜日。バイトをはじめて3日目の夜をむかえた僕はひどくナーバスな気持ちに陥っていた。もう、いきたくない。どうせ行っても黙々と仕分けを続けるだけで、例のパチンカーズや眼鏡君と会話をするわけでもなければリア充たちの取り巻きにいる女の子といちゃいちゃできるわけでもない。
今の僕は、そう。ただ、死んでるように生きているだけ。
さりげなく、掲示板に仕事の愚痴を吐いてみる。
はぁ。なんの励ましにもならない。この美しい奇跡のような顔に、傷でもついたらどうしよう。
せめて一眠りしてからバイトにいこうと思ったが、目を瞑ると、どうも頭の中をかけめぐるのは楽しくもない手紙仕分けのことばかりで、いっそう陰鬱な気分になる。
そんなこんなしているうちに、もう家を出なければいけない時間になっていた。今日は仮病をつかって休もうかな。一週間ほど前に気を奮い立たせた、あの頃の僕はいつの間にか消えてしまっているようだ。きっと、湯船の中で汗や垢と一緒に流れ出てしまったんだろう。
母親に無理矢理起こされ、仕方なく準備をして、家を出た。
職場に着いた僕を待ち構えていたのが、彼女だった。
色白の透き通るような肌に、少しブラウンの混じったナチュラルボブ。目はこちらが吸い込まれるような大きさで、ぱっちりとしたそれに少しあどけなさも残っている。鼻筋もとおっていて、それでいて、色気を感じさせる唇。顔だけが体よりも遠くにあるんじゃないかとも錯覚させる小顔。
要するに、僕の、好みだった。ベージュのダッフルコートを可愛らしく着こなしているのも良い。さりげなく小物に指し色を取り入れているのもキュートだ。
すっかり彼女に一目ぼれしてしまったらしい。仕事がはじまっても、僕は集中することが出来ずちらりちらりと彼女のほうを窺うので精いっぱいだった。
休憩時間。幸いなことに、彼女は僕のすぐ近くで仕事をしていた。絶好のチャンスだ。とりあえず自己紹介でもしてみよう。
席をたとうと膝にぐっと力を入れようとすると、僕の後ろを誰かが通り過ぎようとする気配を感じた。パチンカーズの1人の、金髪野郎だ。
金髪は彼女の横の席にかけるや否や、「仕事きついね」やら、「今日は寒いね」やら、当たり障りのない会話を振り始めた。じろりと二人のいる方向を睨むと、彼女も無邪気な笑顔をうかべてそれに応じる。どうやら早々に機を逸してしまったようだ。
だけれど、今はこれでよかったのかもしれない。だってそうだろ?髪はずいぶん長い間切ってないし、整髪料もつけていないからぼさぼさだ。ファッションもいけてない。お母さんが買ってきてくれたものをそのまま着用している。アメリカザリガニのような色をしたネルシャツにシャカシャカしたブルゾン、それにサイズ感のあっていないぶかぶかした青いジーパンときたもんだ。履き潰したスニーカーも汚れていて、例え僕が政治家のような雄弁さをもっていても、それが元々真っ白であったと信じる者は誰もいないだろう。
このやり場のない気持ちを晴らすべく、ブックマーク先の掲示板へアクセスする。
僕は机につっぷして眠ったふりをしながら、2人の楽しげな笑い声を聞いていた。
第8章 終
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