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シロイユキ・第2話

「新しい家族」(遥視点・前半)


1.無慈悲なる絶望


 今回の世界選手権大会で日本代表の監督を務めている羽間口監督は、現在も悠峰学園の女子フェンシング部の顧問を務めており、高校時代の美羽と宏美の恩師でもある。
 彼は何かある度に決まって口癖のように『気合だ~!!』と叫ぶのだが、それはフェンシングの試合に限った話ではなく、どのような逆境に置かれようとも決して諦めてはいけない、諦めてしまえばそこで試合終了だ、諦めなければ必ず道は開ける物だと・・・そんな根性論を生徒たちに説いているのだ。

 実際に悠峰学園女子フェンシング部が、美羽と宏美が去った今でも全国大会の常連となっているのは、充実した施設や練習内容、生徒たち個人個人の技術の高さも勿論無視出来ないのだが、何よりも羽間口監督の厳しくも温かい指導によって、生徒たちの誰もが決して諦めない心の強さを身に付けている事も、大きなウェイトを占めている。

 今の時代において根性論なんて古過ぎる、今の近代化が進んだフェンシングにおいて必要なのはデータ分析と状況判断力であり、根性論など何の意味も持たない・・・羽間口監督の指導方法にそんな批判を浴びせる専門家も確かに存在するのだが、それでも悠峰学園を全国大会の常連へと導いている羽間口監督の手腕は各方面から高く評価されており、それ故に今回の世界選手権大会の監督という大役に抜擢されたのだ。

 遥は以前、今の近代化が進んだフェンシングを

 『知的格闘術』
 『走りながら将棋やチェスをやるような物だ』

 と梢子と桂に語っていた事がある。
 その時の自分と相手の位置関係、相手が繰り出す攻撃や得意技や戦闘スタイル、自分が今置かれている状況などから、ポイントを奪う為に最適な一手を瞬時に導き出さなければならない。そこに対戦相手との駆け引きや読み合いが生じ、走りながらデータ分析をして頭をフル回転させなければならないのだと。

 それにフェンシングはボクシングや総合格闘技などと違い、対戦相手を傷つけてノックアウトする事が目的ではない。かすった程度の一撃だろうが、剣が当たりさえすればポイントだとみなされるのだ。それどころか騎士道精神を弁えない、必要以上に相手を傷つけるような暴力的な戦い方をすれば、反則を取られるケースさえもある。
 だからこそ試合に勝つ為に必要とされているのは、気合ではなく状況判断力・・・試合に勝つ為に身体を鍛える事も勿論大切なのだが、それ以上に頭を鍛える事の方が重要なのだと、遥は自らのブログにおいて持論を展開しており、そんな遥の考え方に賛同する選手たちも数多い。

 それ故に遥自身も、ただ闇雲に『気合』を前面に押し出す羽間口監督の指導法に、疑問を投げかけている1人なのだが、それでも彼の指導を受けた生徒たちの誰もが精神的な強さを得ている事は事実であり、実際に悠峰学園を全国大会の常連へと導くなど、目に見える形でちゃんと結果も残している。その点は遥も高く評価していた。

 だが遥たちが今戦っているのは、世界中から強豪が集まる世界選手権大会・・・そんな根性論だけではどうにもならない相手が存在する物なのだ。
 どれだけ限界まで自分を追い詰めようが、どれだけ厳しい練習を積み重ねようが、そんな血の滲むような努力を全て無意味な物にしてしまう・・・どうあがいても超える事が出来ない、『絶望』という名の高い壁が。

 「勝者、エストファーネ・パウル!!5-0!!」

 審判が試合終了を告げた瞬間、握力を失った宏美の右手から剣が床に転がり落ちた。
 そして憔悴し切った表情で、突然その場に崩れ落ちてしまう。
 凄まじい声援がエストファーネに浴びせられる最中、慌てて美羽と遥が宏美の下に駆けつけた。

 「宏美!!おい宏美!!しっかりしろ!!」
 「・・・あ・・・あう・・・がはっ・・・」

 慌てて遥がマスクを外すと、既に宏美の瞳からは完全に生気が抜け落ちてしまっていた。
 宏美の身体はガタガタと震えており、ショックのあまり自力で起き上がる事も出来ない。
 そんな宏美の肩を遥と美羽が2人がかりで担ぎ、急いで日本チームのベンチへと運んでいく。

 試合はあまりにも一方的な展開で、宏美はエストファーネに対して全く何も出来なかった。
 しかも試合時間は、たったの2分・・・これは今大会の現時点においての最速記録だ。
 世界最強の女剣士が相手だろうと、どこまでも食らいついてやる・・・そんな宏美の意気込みが完全否定されてしまったばかりか、宏美がこれまでに積み重ねてきた血の滲むような努力を、エストファーネは全て無意味な物にしてしまったのだ。
 どれだけ努力しようが、とれだけ血と汗を流そうが、そんな事したって無駄無駄・・・宏美の表情はエストファーネにそう告げられたかのようだ。

 美羽と一緒に地元の大学チームの厳しい練習環境で4年間徹底的に鍛えられ、警察官として死線を何度も潜り抜けて凶悪な犯罪者を何人も捕らえ、今回の日本チームにおいて最も急成長を遂げた1人だと言われており、遥や美羽、雨音が相手でも、それなりには粘れる位の実力を有しているというのに。
 単純な剣術だけでなく、ルール無用の殺し合いでさえも、並の鬼切りでは太刀打ち出来ないのではないか・・・そう美羽が絶賛する程の宏美が、ここまで徹底的に痛めつけられてしまったのだ。
 これが『世界』という舞台の広さ・・・今回の宏美の敗戦は、遥と美羽に改めてそれを思い知らされる結果となった。
 今の宏美の心を支配しているのは、『絶望』。

 「しっかりしなさい宏美!!たかが一度負けた位でそこまで落ち込むなんて、宏美らしく無いわよ!!次こそは絶対に勝つんだっていう気迫を・・・!!」
 「む・・・無理だよ美羽・・・あんな化け物相手に・・・私なんかが到底勝てるはずが無い・・・」
 「・・・宏美・・・!!」
 「私・・・あんな化け物・・・今まで見た事が無い・・・!!」

 どれだけ剣を振っても当たらない。どれだけ攻撃を避けようとしても避けられない。
 どれだけフェイントを交えようが、どれだけ渾身の一撃を繰り出そうが、全て無効化されてしまう。
 何も出来ない。どうする事も出来ない。何をやっても通用しない。
 宏美がここまで無様な負け方をしたのは、国際大会ではこれが初めてだった。
 これでは宏美は、ただのエストファーネの調整役でしかない・・・単に世界という大舞台で恥を晒しに来ただけだ。
 これまで国際大会で1回戦突破がやっとだった宏美とはいえ、それでも世界の強豪たちを相手に、それなりの死闘を演じてきたというのに。

 観客のほとんどが一斉にエストファーネに声援を送る最中、先程まで必死に鳴り物応援をしていた日本の応援団たちだけが、まるで通夜のような沈痛な雰囲気に包まれてしまっている。
 無理も無いだろう。あそこまで一方的で無様な試合を見せ付けられてしまったのだから。
 エストファーネを出迎えたサテラが、とても穏やかな笑顔で彼女と抱擁を交わす。
 そんな2人の様子を沢山のマスコミたちがカメラに収め、物凄い勢いでフラッシュの光が2人を包み込んだ。

 「美羽・・・彼女には・・・気をつけて・・・!!」
 「うん、分かってる。だけど私は負けるつもりは無いわよ。」

 世界ランキングは堂々の1位を誇り、世界最強の女剣士とまで呼ばれているエストファーネ。
 宏美との試合を一目見ただけでも、彼女が相当な実力者である事が分かる。
 今の美羽がまともに戦って、果たして勝てる相手かどうか。
 それにエストファーネは、遥と美羽の身に流れる特別な血の事も知っていた。それに宏美との試合の最中にも美羽と遥に度々視線を送っており、2人を意識しているの明らかだ。

 一体彼女は何者なのか・・・だが今の美羽に必要なのは、目の前の試合に集中する事だ。
 美羽の1回戦の相手は、世界ランク7位の強豪・カナダ代表アリサ・ヨハネス 。前回のオリンピックでは女子サーブル部門に出場し、銅メダルを賭けた3位決定戦で、苦しみながらも雨音を破った強敵だ。いかに美羽と言えども、何かに気を取られて勝てるような生易しい相手ではない。

 1回戦第2試合が行われている最中、試合に備えてウォーミングアップを始める美羽。
 そんな美羽を、エストファーネとサテラが興味津々といった表情で見つめていたのだった・・・。

2.現代最強 VS 世界最強


 『皆様、本日はご来場下さいまして、誠にありがとうございます。ただいまより女子エペ部門準決勝第1試合、日本代表ミウ・ノサキ選手 VS ベルギー代表エストファーネ・パウル選手の試合を開始致します。』

 そして美羽とエストファーネは準決勝まで勝ち進み、遂に直接対決の時がやってきた。
 2人のこれまでの戦いぶりは全くの対照的であり、エストファーネが準決勝までの3試合を全て完封、圧勝したのに対し、美羽は1回戦を5-3、2回戦を5-4、ベスト8を5-3と、全試合で苦戦を強いられる結果となった。
 今回の女子エペ部門ではトーナメントの組み合わせが相当偏っており、エストファーネが世界ランキングの下位ランクの選手との試合ばかりだったのに対し、美羽は3試合連続で世界上位ランカーと試合をする羽目になってしまったのだ。

 準決勝からは試合の制限時間が10分から15分に延長されるが、制限時間までに同点だった場合は、これまでの総失点が少ない者が勝者となる・・・つまり美羽はエストファーネを相手に引き分けすら許されない。美羽にとって相当不利な状況だと言えるだろう。
 だがそれでも今の美羽には、そんなハンデなど全く頭に入っていなかった。
 要はエストファーネよりも先に、5ポイントを先取すれば済むだけの話なのだから。 

 審判に促されて一礼し、美羽とエストファーネは剣を構える。
 遥がエミリーと戦った時とは対照的に、美羽はとても厳しい表情でエストファーネを見据えていた。
 遥のように試合を楽しむとか、今の美羽にはそんな余裕は全く無い。
 宏美の仇討ちというのもあるが、何よりも最初から全力を出さなければ、到底太刀打ち出来ない相手だろうから。

 「やっと貴方と戦える時が来たね。美羽。」
 「貴方は一体何者なの?エスト。貴方は何故、私と遥の事を・・・」
 「詳しい話は後々~。今はこの準決勝を目一杯楽しもうよ。」
 「・・・・・。」

 美羽の周辺の空気が、ビリビリと震えている。
 『心の一方』・・・達人クラスの剣術の使い手は、その剣気だけで相手を威圧する事が出来ると言われている。
 美羽の剣気を敏感に感じた審判が一瞬ビクッと震えたが、エストファーネはそんな美羽の剣気さえも軽く受け流していた。

 「・・・おっ、なんか凄い闘気。やる気がみなぎってるね~。」
 「・・・・・。」
 「じゃ、そんな美羽のやる気に応えて・・・私も全力で相手しよっかな。」

 日本の応援団が宏美の仇を討ってくれと言わんばかりに、壮大な鳴り物応援で必死に美羽に声援を送る。
 会場が凄まじい熱気に包まれる最中、審判の右手が上がり・・・

 「・・・始め!!」

 現代最強の鬼切り役と、世界最強の女剣士・・・『最強』同士の戦いが遂に始まった。
 その瞬間、美羽は縮地法で一気にエストファーネとの間合いを詰める。
 そして繰り出されるのは、零距離からの天竜牙突槍。
 様子見などするつもりは無い。最初から全身全霊の力で、一気に勝負を決めるつもりなのだ。
 だが。

 「な・・・!?」

 いつの間にかエストファーネは、美羽の突きを必要最小限の動きで華麗に避けていた。
 いや・・・避けていたというよりも、流水の如く受け流したと言うべきか。
 それはさながら、美羽という闘牛を翻弄する闘牛士の如く。

 「はっ!!」
 「・・・っ!?」

 その隙にエストファーネの突きが、美羽の右胸にヒットする。
 その瞬間、電光掲示板に表示されたのは、エストファーネのポイント獲得を示す光。
 試合開始から僅か3秒で、美羽はエストファーネに先制されてしまったのだ。
 大勢の観客が凄まじい声援をエストファーネに送り、日本の応援団たちは沈痛な叫びを上げる。

 「馬鹿な・・・今のは明鏡止水・・・!?どうして・・・!?」
 「ああ、相馬剣聖流だとそう呼ぶんだっけ。私の流派ではミラージュステップって呼んでるけど。」
 「相馬剣聖流まで知ってるなんて・・・貴方本当に一体何者なの!?」
 「ふふふっ・・・私はもっと知りたいな。美羽の事・・・。」
 「くっ・・・!!」
 「さあ、もっと美羽の力を見せてよ。美羽の全身全霊を、美羽の全てを。」

 今度はエストファーネが美羽に対して攻勢に出る。
 先程の美羽と同様、渾身の力を込めた突き。
 美羽もまたエストファーネと同様に、明鏡止水で攻撃を避けようとするのだが・・・

 「うりゃっ!!」
 「な・・・!?」

 エストファーネの剣が、美羽の右胸にヒットしていた。
 明鏡止水で避けたはずなのに、エストファーネの剣は確実に美羽を捉えていたのだ。
 それはエストファーネが、美羽の動きを完全に見切っているという証。
 縮地法も、天竜牙突槍も、明鏡止水も通用しない・・・エストファーネの強さは圧倒的だ。
 現代最強の鬼切り役と呼ばれている美羽でさえも、圧倒される・・・これが『世界』という舞台の広さなのだ。
 これが世界最強の女剣士・・・ベルギー代表エストファーネ・パウルの実力だ。

 「・・・くそっ・・・!!」

 先程までと違い、驚異的な粘りを見せる美羽だったが、壮絶な剣のぶつかり合いの末に、右肩にまたしてもエストファーネの突きがヒットする。
 試合開始から僅か3分で、3-0・・・美羽は完全に追い込まれてしまっていた。
 どれだけ剣を振っても当たらない。どれだけ攻撃を避けようとしても避けられない。
 どれだけフェイントを交えようが、どれだけ渾身の一撃を繰り出そうが、全て無効化されてしまう。
 何も出来ない。どうする事も出来ない。何をやっても通用しない。
 まさに宏美の時と同様、美羽はエストファーネを相手に、ほとんど何も出来ない状況に追い込まれてしまっていた。

 だが美羽と宏美の徹底的な違い・・・それはこの状況においても絶望に支配される事無く、まだ勝つ事を諦めていないという事。
 冷静さを失わずに頭をフル回転させ、エストファーネの動きを分析しようとする。
 何の迷いも無い力強い瞳で、美羽はエストファーネをじっ・・・と見据えていた。

 「おっ、まだ諦めてないって感じだね~。さすがは羽藤真弓のクローンといった所かしら?」
 「・・・貴方・・・一体私と遥の事をどこまで知っているの・・・!?」
 「だけど、この調子なら私の勝ちは揺るがないかな?」
 「まだ試合は終わってない・・・私はまだ負けてはいない・・・!!」

 最後まで諦める事無く、美羽はエストファーネを相手に必死に食らいつこうとする。
 だがそれでも、美羽はまたしてもエストファーネにポイントを奪われてしまう。
 パワー、スピード、テクニック・・・全てにおいてエストファーネは美羽を完全に凌駕していた。
 これで4-0・・・あと1ポイントを奪われたら美羽の敗北になってしまう。美羽は完全に追い込まれてしまっていた。

 観客のほとんどがエストファーネに熱狂的な声援を送る中、日本の応援団たちが悲痛な叫び声を上げている。
 だが今の美羽には、そんな物は全く頭の中に入っていなかった。
 まだ終わっていない。まだ負けてはいない。
 どうにかしてエストファーネに勝とうと、美羽は頭の中で必死にエストファーネの動きを分析する。
 遥が『走りながら将棋やチェスをやるような物だ』と表現した、現代におけるフェンシング・・・まさしくエストファーネをキングに見立て、いかにしてチェックメイトにまで持ち込むかをシミュレーションするかの如く。

 「姫様から美羽が現代最強の鬼切り役だって聞かされたから、期待してたんだけどなぁ・・・これで勝負ありかな?もう少し粘って欲しかったけどね。」
 「・・・貴方、野球は9回ツーアウトからっていう日本のことわざを知ってるかしら?」
 「やれやれ、まだ無駄な足掻きをするつもりなの?ま、最後まで諦めないその姿勢は評価出来るけどね。」
 「言ったでしょう?まだ試合は終わっていない・・・実戦において、貴方のその傲慢さが命取りになるのよ。」

 確かにエストファーネは強い。だがそれでも美羽は、勝つ事を全く諦めていなかった。
 まだ試合が終わっていないのに、既に勝った気になっている傲慢なエストファーネに、一泡吹かせてやろうと闘志をみなぎらせている。
 そんな美羽の戦いぶりを、チームメイトたちがとても心配そうな表情で見つめている。

 「あの美羽がここまで追い込まれるとは・・・これが世界ランク1位の実力か・・・。」
 「美羽!!頑張って!!私の仇を取ってくれるんでしょう!?」
 「野咲ーーーー!!フェンシングは気合だぁーーーーーーーーっ!!」

 腕組みをしながら、厳しい表情で美羽の試合を見つめる遥。そして宏美と羽間口監督が必死に美羽に声援を送る。
 言われなくても美羽は、このまま終わるつもりは微塵も無かった。
 何の迷いも無い力強い瞳で、美羽はエストファーネを見据えて剣を構える。
 それに美羽とて、ただ黙ってエストファーネにやられていたわけではない。
 野球が9回ツーアウトからということわざがあるように、フェンシングにおいても試合終了まで、何が起こるか分からない物なのだ。 

 「それじゃ、このラウンドでちゃっちゃと試合を終わらせますか。」
 「・・・・・。」
 「ま、美羽もよく頑張った方だと思うよ。この私を相手に5分も粘ったんだからさ。あ、最終ラウンドを入れたら6分か7分ってとこかな。」
 「・・・エスト。まだ最終ラウンドじゃないわよ。」
 「あはは、ごめんね~。まあ結果的にそうなるんだから・・・細かい事言わないのっ!!」

 エストファーネの凄まじい猛攻が美羽に迫る。それをどうにか受け止め続ける美羽。
 2人の周囲に走る糸状の閃光。だが美羽も凄まじい粘りを見せるものの、徐々にフィールドの端へと追い込まれてしまう。
 もう美羽に、逃げ場は無い。

 「これで終わりぃっ!!」

 エストファーネの渾身の突きが、美羽の右胸に迫る。
 終わった・・・誰もがそう思った瞬間。

 「・・・な・・・!?」

 ポイントを奪われたのは、美羽ではなくエストファーネの方だった。
 エストファーネの突きを紙一重で避け、カウンターで美羽が攻撃をヒットさせていたのだ。
 まさかの出来事に、エストファーネは驚きを隠せない。

 「言ったでしょう?エスト。まだ最終ラウンドじゃないってね。」 
 「そんな・・・どうして・・・!?」
 「私がただ何も出来ないまま、黙って4ラウンド取られていただけだと思っていたの?」

 威風堂々と、美羽はエストファーネにはっきりと宣言した。

 「野球は9回ツーアウトから・・・ここから反撃させてもらうわよ。エスト。」

3.激闘の結末


 「馬鹿な・・・!?」

 4-2。

 「そんな、馬鹿な・・・!?」

 4-3。

 「馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁっ!?」

 4-4。

 まさかの驚異的な追い上げを見せる美羽の活躍に観客はどよめき、会場は異様な雰囲気に包まれていた。
 先程まで沈痛な雰囲気だった日本の応援団たちも息を吹き返し、派手な鳴り物応援で美羽の気持ちを鼓舞しようとする。
 美羽を追い込んでいるのはエストファーネの方なのに。毎ラウンド、終始美羽はエストファーネに押されっぱなしだというのに。
 それなのにエストファーネは、美羽を倒せそうで倒せない。
 後一歩という所で、エストファーネは逆に美羽にカウンターを浴びせられ、ポイントを奪われてしまっているのだ。

 美羽は前半の4ラウンドを、ただ一方的にエストファーネにやられっぱなしだった訳ではない。
 後半の美羽の怒涛の追い上げは、確かにエストファーネの油断と傲慢さが招いた事態でもあるが、それだけではないのだ。
 美羽はやられながらもエストファーネの動きを冷静に分析し続け、彼女の太刀筋や動きを徐々に見切りつつあるのだ。
 この短時間にそれを見事にやってのけた美羽に、エストファーネは驚きを隠せなかった。

 確かに単純な実力だけなら、美羽よりもエストファーネの方が上だろう。
 身体能力も、剣を扱う技術も、これまでに積み重ねてきた実績も。
 だが実戦というのは、それだけで勝敗が決する程甘くは無い。
 美羽がエストファーネに勝っている点・・・それは潜り抜けてきた修羅場の数の差と、どんな状況でも自分を見失わない冷静さ、そして今の近代フェンシングにおいて一番重要だとされている状況判断力だ。

 まさに正真正銘の最終ラウンド・・・今度は先程までとは一転して、エストファーネはミラージュステップを駆使し、完全に守りに入ろうとする。
 このまま同点のまま引き分けになれば、これまでの総失点の差でエストファーネの勝利となる。それ故に今の美羽には引き分けすら許されないのだ。
 もう残り時間も少なく、美羽は無理矢理にでも攻めなければならない。この状況ではどんな達人だろうと、どうしても僅かな隙が生まれてしまう物だ。そこをエストファーネは突こうとしたのだが・・・。

 「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
 「くっ・・・そんな・・・馬鹿な・・・っ!!」

 エストファーネの舞うような流水の動きでさえも、美羽は徐々に見切り始めていた。
 ミラージュステップでも美羽の攻撃を避け切れない。自分の身体に的確に迫る美羽の剣を、エストファーネは辛うじて剣で受け止め続ける。

 「エスト!!明鏡止水を使えるのは貴方だけじゃないのよ!!」
 「くそっ・・・!!」
 「私だって使えるんだから、技の性質くらい百も承知よ!!」
 「この・・・私を舐めるなあっ!!」

 エストファーネのカウンターを、美羽は後方への縮地法で辛うじて避ける。
 そのまま仕切り直しとなり、2人は互いに間合いを離したまま、互いの隙を伺おうとする。
 だがこのまま引き分けでも勝利となるエストファーネは、リスクを犯してまで無理に攻めようとはしない。このまま時間切れまで守りを固めるつもりのようだ。

 逆に引き分けでも敗北となってしまう美羽は、リスクを犯してでも強引に攻める必要があった。
 守りに入って自分からは攻めてこないエストファーネに、日本の応援団たちが卑怯だとブーイングを浴びせるのだが、別にルール違反ではないのでエストファーネは気にしていないし、日本チームも文句を言わないし審判も何も言って来ない。
 観客も固唾を飲んで、2人の壮絶な戦いを見守っている。

 このような状況で先に動いたのは・・・やはり攻めなければ負けてしまう美羽の方だった。
 残り時間10秒を告げるアラームが鳴り響き、それを合図に美羽が縮地法で一気にエストファーネとの間合いを詰める。
 次の瞬間、2人の周囲を走る糸状の閃光。壮絶なまでの突きの応酬。

 もう時間が無い。リスクを犯してでも強引にエストファーネからポイントを奪わなければならない。
 だがそれ故に美羽の動きが荒削りになり、攻撃の際に僅かな隙が生まれてしまう。それを見逃してくれる程、エストファーネは甘い相手では無かった。
 美羽の剣を巧みに弾き、エストファーネはガラ空きになった美羽の豊満な胸に、止めの一撃を繰り出そうとするのだが・・・。

 「・・・そうは・・・させるかあああああああああっ!!」
 「な・・・!?」

 紙一重の所で、ギリギリのタイミングで、美羽は明鏡止水でエストファーネの一撃を避けた。
 そのまま弾かれた剣を、美羽は強引にエストファーネに狙いを定め・・・そして・・・

 「ぬああああああああああああああっ!!」
 「そんな・・・馬鹿な・・・っ!?」

 ビーーーーーーーッ!!
 ここで試合終了を告げるアラームが鳴り響いた。
 呆然とした表情でマスクを外し、電光掲示板を見つめる美羽とエストファーネ。
 電光掲示板に記載されているのは、エストファーネの勝利を示すイタリア語の文章。
 そして審判がマイクを手に、どよめく観客に対して試合の結末を詳細に説明した。

 『主審のラファエルです。只今の試合の勝敗について説明を致します。只今の試合は時間切れにより4-4の引き分けに終わりましたが、今大会のこれまでの総失点を比較した結果、ミウ・ノサキ選手が10点、エストファーネ・パウル選手が0点であり、大会規定により総失点が少ないエストファーネ選手が決勝進出となりました。繰り返し申し上げます。只今の試合は・・・』

 惜しかった。本当に紙一重の差だった。
 あそこまでエストファーネを追い込んでおきながら、結局美羽は時間切れでエストファーネに負けてしまったのだ。
 この後、美羽は銅メダルを賭けて、次の準決勝第2試合の敗者と3位決定戦を行う事になる。

 そして美羽に勝利した事でメダルは確定したエストファーネだったが、正直言って全然勝った気がしなかった。
 今回は結果的に時間切れで辛うじて勝利したのだが、あのまま続けていたら果たしてどうなっていたか。
 それに前半は美羽が繰り出す技を立て続けに破り、あそこまで美羽を圧倒出来ていたのに、後半になって美羽に太刀筋を見切られ、凄まじい追い上げを許してしまったのだ。
 何という勝利への執念。そして追い込まれた状況でも決して諦めない強靭な精神力。

 「素直に認めるしかありませんね、エスト。彼女の底力を。」

 とても穏やかな笑顔で、サテラがベンチに戻ってきたエストファーネを出迎えた。
 そして試合を終えたエストファーネに、スポーツドリンクとタオルを手渡す。
 その彼女の両手の優しさと温もりが、美羽との戦いで疲弊したエストファーネの心を安心させる。
 サテラに渡されたスポーツドリンクを物凄い勢いで喉に流し込み、ほのかな香りがするタオルで顔の汗を拭った。

 「んぐ・・・んぐ・・・ぶはぁ・・・姫様、申し訳ありません。見苦しい醜態を晒してしまいました。」
 「良いのです。美羽もエストも敬意を払うに値する、実に素晴らしい戦いぶりでした。」
 「姫様の為に、次の試合にも勝って必ず金メダルを獲得してみせます。」
 「ふふふ、期待していますね。エスト。」

 ウグイス嬢が準決勝第2試合の開始を告げる最中、サテラはとても興味深そうに、チームメイトに出迎えられる美羽の姿を見つめていた。
 まさかエストファーネを、あそこまで追い詰めるとは・・・サテラは美羽に興味津々だ。
 そして、その美羽と対等の実力の持ち主だとされ、エミリーと死闘を演じた遥。

 「・・・さすがは『贄の血』と『神の血』をその身に宿す者たち・・・やはりこうでなければ面白くありませんね・・・ふふふ・・・。」