Q73

    
Q.ラストシーンはDREAM編?


A.DREAM編の7月17日。堤防の上で腹を空かして目を回している往人と、彼が起きるのを待つ観鈴。

あの場面がAIR編ではなく、DREAM編である根拠として幾つか挙げられる。

1.さようなら
AIR編ラストの少年が「さようなら」と告げるが、DREAMオープニングのラストでも「さようなら」。その直後に往人が応えて「誰かが呼んだ気がする」。もちろん、呼んだのは往人と同じ記憶を持つ少年。

2.手を振る順番
AIR編冒頭の砂浜とラストの砂浜の場面は、その描写の共通性から同じ時点(7/17夕方)を別の視点から見たものと考えられるが、少年と観鈴の手の振る順番が違う。よってAIR編ラストシーンはAIR編冒頭ではない。

3.そらの存在の有無
AIR編の冒頭にはそらがいて、ラストシーンにはそらがいない。単にAIR編ラストからAIR編の最初に戻ったのだとすれば、ラストシーン7/17にはそらがいるはずである。

※註:過酷な日々
少年は、往人と観鈴がこれからたどる道を「過酷な日々」と評する。なぜ過酷かと言えば、癇癪や呪い、オーバーフローのせいで、結局観鈴はどうやっても死に、往人は消えるからだ。それを知っている少年は、つまりこれから起きることを全て知っていることになる。そして、それらを全て知りうる存在はそらだけだ。往人ではない。

|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|
  

コンテンツ


-



↓アンケートページもあります


選択肢 投票
呪は解けた派 (1657)
呪は解けてない派 (764)