Q78

    
Q.少年の言葉「無限の終わり」って何のこと?


A.【推測】同じ時点(7/17)でそらが考えていたことと対照的な言葉として言っている。

AIR編7/17

小さな影たちは、歩きはじめた。
どこまでも遠く、おわりのない道を歩きはじめた。
その先にあるものを怖がらずに、前に進んでいく。
それはきっと、ぼくが持っていないものだ。
つばさがふるえるのを感じた。

AIR編ラストシーン(DREAM編7/17)

【少年】「じゃ、いこうか」
彼女が先に立って、待っていた。
【少女】「うん」
【少年】「この先に待つもの…」
【少年】「無限の終わりを目指して」

「どこまでも遠く、おわりのない道」。これはつまり「無限」のことだ。そらは無限に続く道を怖がっている。それに対して、少年は「無限」が「終わる」ことを知っているようだ。その終わりを目指すことができている。

無限とは何か?

少年が登場するAIR編ラストシーンの直前、飛び立つ前のそらはこんなことを言っている。

果てのない旅路に思えた。
どこまでも空は高く、限りがない。

「限りが無い」、つまり「無限」。次の部分でも、「限りなくどこまでも続く」といって「無限」に言及している。

限りなくどこまでも続く蒼…
何も終わりを知ることなく、続いてゆく世界。
その無限へと還ってしまった少女。

少年がそらの記憶を引き継いでいるのなら、「無限」とはこの「限りが無い空」のことを指しているのだろう。観鈴は死に、神奈の魂として空に戻っていった。彼女たちは、再び輪廻の繰り返しへと還ってしまったのだ。そらは、限りなく広がる空に、翼人たちが無限に繰り返してきた輪廻を巡る悲劇を見る。

AIR編開始時

小さな影たちは、歩きはじめた。
どこまでも遠く、おわりのない道を歩きはじめた。

AIR編ラスト直前

果てのない旅路に思えた。
どこまでも空は高く、限りがない。

ラスト直前、そらが向かった空は「どこまでも空は高く、限りがない」。これはAIR開始時(7/17)のそらのセリフ「どこまでも遠く、おわりのない」と意味の上でも構造の上でも完全に対照を成している。そらは、空に「無限」を見る。

そして少年も、海岸線に「無限」を見る。そらの転生、少年の言う「無限の海岸線」とは、そらがずっと怖がっていた「無限の空」だが、「終わり」という言葉は、そらとはまったく反対の意味で使っている。そらには「終わり」が見えず、歩き出す勇気すらないが、少年は「終わり」を目指す。少女と二人で。

では、どうして少年は目指せるのだろう? 何を目指す?

ずっと恐れていた空。
飛べるだろうか。
彼女と一緒に飛ぼうとした空。
今も恐かったけど…
でも飛べる。
そう信じる。
飛ぼう。
僕は駆け始めた。
あの日の彼女の背中を追って。

AIR編の冒頭で「どこまでも遠く、おわりのない道」をずっと怖がっていたそらだったのに、この時のそらはその「どこまでも高く、限りがない空」に挑もうとしている。なぜか。そこではきっと観鈴が待っているからだ。

恐怖に立ち向かうこと。我々はそれを「勇気」と呼ぶ。そして、そらの「勇気」は少年に引き継がれた。

少年は恐れない。無限としか思えない辛く長い道でも、歩き続けていけば、その先には必ず終わり(ゴール)はあるのだと、もう知っているのだから。

彼女と一緒ならば、きっと迷わずに、ずっとどこまでも歩いていける。

晴子は言う。

【母】「それでも、踏み出せば、どんどん道は続いてる」

それこそが「生きる」ということなのだと。

……。

…。

「無限」とはまた観鈴や翼人たちが永遠のように「ずっと」繰り返してきた輪廻のことでもある。それはそらの以下の言葉からもわかる。

限りなくどこまでも続く蒼…
何も終わりを知ることなく、続いてゆく世界。
その無限へと還ってしまった少女。

無限に続く蒼い空、無限に続く永遠の世界。空間的な無限、時間的な無限。そらは「空」に二面性を見ている。そらが目指したのは、その無限の空の果てであり、無限の繰り返しの終わりだった。

だからそらは、空にいる観鈴を、大地に連れ帰らなければならない。空という無限から、限りある大地へと。

そらと観鈴の転生であるラストシーンの少年と少女は、既にその「無限」のループを抜けた記憶を引き継いでいる。二人は「無限」の先にあるもの(ゴール)を知った。だから「無限」のように見える「どこにもたどりつけないような」海岸線でも、「終わり」があると信じて先に進めるのだろう。

以下、余談。

無限の空を怖がり地上を彷徨うそらに、晴子は言う。

【母】「うちも長い時間かかってしもたけど…」
【母】「ようやく、踏み出すことできたんやで」
【母】「いろんなこと変わってしもたけど…」
【母】「それでも、踏み出せば、どんどん道は続いてる」
【母】「生きていくんや、うちは」

【母】「夏は終わったけど、空は果てなく続いてる」

【母】「うちは歩いていくから…」
【母】「ずっと、雲追いかけて…」
【母】「せやから、あんたは飛ぶんや」
【母】「翼のない、うちらの代わりに…」

空を怖がるそらを励ましている。ただ、なぜ以下のようなセリフが晴子から出てくるのかわからない。

【母】「ひとの夢とか願い…ぜんぶ、この空に返してや」
【母】「そうすれば、うちらはきっと…ずっと穏やかに生きていける」
【母】「そんな気がするんや…」

空に返すというのは、もちろん「観鈴の記憶」で「上書き」した「翼人の記憶」だ。「不幸な神奈の記憶」は空に返せない。

星の記憶は、永遠に幸せでなければなりません。
憎しみや争いで空が覆い尽くされた時。
この星は嘆き悲しみ、あらゆるものを生み出した己を忌むことでしょう。
すべては混沌に戻り、そして無に帰すでしょう。

神奈の記憶は返せない。それどころか、翼人の記憶は不幸な記憶しかないのかもしれない。初代翼人が初めて記憶を星に返したこと自体、親子の悲しい別れ、観鈴が言うには「世界で一番悲しい」ことだったのだから。そして2億年前から一度も記憶を返せなかった。「世界で一番悲しい」別れを上回る幸せなど、ただの一度もなかったのだろう。やがて人を殺した呪いが翼人につきまとうようになり、神奈の悲劇の記憶、最後の翼人の死、というように、もう記憶を星に返そうにもどうにもならなくなってしまう。

だが、その不幸な記憶と一緒に「幸せな観鈴の記憶」を返すことで、星は安寧を保つことができる。「ずっと、幸せなばしょ」で観鈴が最期を迎えた記憶。それは、翼人たちと観鈴たちが「ずっと探してたばしょ」。その記憶をもって初めて、二億年を超えた記憶を星に返すことができる。

だが、それは、晴子の預かり知らないことのはずだ。あまり深い意味はないのかもしれないが。

晴子は空にある雲(観鈴の思い出の象徴か)を追いかけていく。その空へと、(観鈴の)夢や願いを返してほしいという。どのような繋がりなのか。これもよくわからない。

以下は個人的な見方。

ラストシーンのラストのCGでは、少女が先に立ち、少年がそれを追う形になっている。

彼女が先に立って、待っていた。

これは「空にいる観鈴に向かうそら」と同じ形になるよう意識して描かれているようにも見える。そらが目指した「無限の空」の終わり、そこには観鈴がいた。観鈴がいたから、そらは空を目指して飛んだ。無限という恐怖を超えて。

少年が無限の終わりを目指すとき、その先には少女がいる。

海岸線
海と大地(砂浜)の境界線。波打ち際。海岸線は普通に見ても水平線まで続いている上に、どこまで行っても陸と海の境界線でしかない。また、どんな大陸でも海に囲まれているため海岸線をたどればいずれは元の場所に戻ってきてしまう。よって海岸線は、風車や線路などと並んで「無限」のメタファになり得る。

地平線
海と空の境界線。

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