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Q.別にパラレルワールドでもいいんじゃないの?(推敲中) A.【推測】深刻なパラドクスが発生してしまう。 DREAM編とAIR編がパラレルワールドだとして、その分岐点はいつかといえば、もちろん「そらが往人としての記憶を思い出し始めた時点」だ。つまり、観鈴が駆け寄ってきたにもかかわらずそらが逃げなかった、7月16日。以降、二つの世界の歴史は食い違っていく。 7月17日、DREAM編では寝ている往人のそばに観鈴しかいない(ラストシーン参照)。AIR編では往人のそばには観鈴、そしてそらがいる。   7/16 7/17 ───┬──────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編 DREAM編とAIR編がパラレル、一見すると問題がなさそうに見える。 だが、DREAM編というのも実はパラレルだとしたら、どうだろう。   7/16 7/17 ───┬──┬────────────→?    │  │    │  └────────→DREAM編    └─────────→AIR編 ラストの少年と少女、彼らはそらと観鈴の転生だ。AIR編から転生してきた彼らは、未来についての記憶を持っているために歴史に干渉し、世界を変えてしまう。例えば7月31日、少年はバス停で寝ている往人にちょっかいを出し、少女は往人から本気で逃げ出そうとはしなかった。 少年と少女たちに人形劇のコツを教わった往人は、観鈴の笑顔を取り戻すべく駆け出すが…少年と少女が往人にそのような干渉をできたのは、彼らが未来から転生してきたために状況を理解しているからだ。往人が怖くないと知っているからだ。転生しなかった世界、元々の世界では、そのような干渉などできるはずがない。他の子供たちと同じく、よそ者の往人に対して怖がり、近づこうともしないだろう。往人は失意のままバス停から別の町へ…。 そう、DREAM編ですら、少年と少女が転生し覚醒することで分岐したパラレルワールドということになってしまうのだ。であれば、分岐する前の世界というものが存在するはずではないか。往人から逃げない少年と、観鈴に似た笑顔の少女がいなければ、往人は絶対にあの町から去るしかない。元の世界が「そう」なのに、どうやってAIR編という世界が存在するのか。往人が観鈴の元に戻らなければ、AIR編という世界は存在しない。AIR編がなければ DREAM編は存在しない。そして、DREAM編という世界でなければ、往人は去ったまま、観鈴は死ぬ。 …はっきり言って、AIRという物語はどのように解釈しようが因果関係がメチャクチャだ。麻枝もわかってて敢えて物語としての設定構成を軽視し、印象的なシーンを作ることを重視してこのような話にしている。 プロの小説家である涼元も「普通ならこんなことはしない」とはっきり明言する。それはそうだろう、構成が矛盾している上に、その矛盾、つまりタイムパラドクスや平行世界の矛盾を物語として利用することもなく読み手に説明することもなく、単なる混乱を引き起こしているだけだからだ。 他にも、こんな解釈をたまに見かける。       ┌────────────→全く新しい世界   7/16 7/17 ───┬──┴────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編      7/17  ───────────────────→全く新しい世界   7/16 ───┬───────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編 ラストシーンはDREAM編でもAIR編でもなく、全く新しい世界なのだ、と。新しい世界だろうが何だろうが、観鈴が生まれながらにして神奈の呪いを引き継いでいる以上、 神奈の癇癪や呪いだけ除去できた転生なのだ、生まれながらにして観鈴は解放されているのだ、という解釈に至ってはもう何をかいわんやである。神奈の記憶の影響なしでは、観鈴は観鈴という人格を形成できはしない。普通の少女になるだけだ。7/17、堤防で座り込んで往人が起きるのを待つ必要などない。友達がいるのだから、7/31のように普通に遊んでいるだろう。往人など相手にせず。 そもそも観鈴がこの町に来たのは、呪いと癇癪のせいで友達ができないことを心配した父親に連れられてきたからだ。普通の少女ならば、父親と都会で暮らしていただろう。 そもそも観鈴が生まれたのは約16年前、少女は10年前といったところだ。16年前に
Q.別にパラレルワールドでもいいんじゃないの? A.【推測】深刻なパラドクスが発生してしまう。 DREAM編とAIR編がパラレルワールドだとして、その分岐点はいつかといえば、もちろん「そらが往人としての記憶を思い出し始めた時点」だ。つまり、観鈴が駆け寄ってきたにもかかわらずそらが逃げなかった、7月16日。以降、二つの世界の歴史は食い違っていく。 7月17日、DREAM編では寝ている往人のそばに観鈴しかいない(ラストシーン参照)。AIR編では往人のそばには観鈴、そしてそらがいる。   7/16 7/17 ───┬──────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編 DREAM編とAIR編がパラレル、一見すると問題がなさそうに見える。 だが、DREAM編というのも実はパラレルだとしたら、どうだろう。   7/16 7/17 ───┬──┬────────────→?    │  │    │  └────────→DREAM編    └─────────→AIR編 ラストの少年と少女、彼らはそらと観鈴の転生だ。AIR編から転生してきた彼らは、未来についての記憶を持っているために歴史に干渉し、世界を変えてしまう。例えば7月31日、少年はバス停で寝ている往人にちょっかいを出し、少女は往人から本気で逃げ出そうとはしなかった。 少年と少女たちに人形劇のコツを教わった往人は、観鈴の笑顔を取り戻すべく駆け出すが…少年と少女が往人にそのような干渉をできたのは、彼らが未来から転生してきたために状況を理解しているからだ。往人が怖くないと知っているからだ。転生しなかった世界、元々の世界では、そのような干渉などできるはずがない。他の子供たちと同じく、よそ者の往人に対して怖がり、近づこうともしないだろう。往人は失意のままバス停から別の町へ…。 そう、DREAM編ですら、少年と少女が転生し覚醒することで分岐したパラレルワールドということになってしまうのだ。であれば、分岐する前の世界というものが存在するはずではないか。往人から逃げない少年と、観鈴に似た笑顔の少女がいなければ、往人は絶対にあの町から去るしかない。元の世界が「そう」なのに、どうやってAIR編という世界が存在するのか。往人が観鈴の元に戻らなければ、AIR編という世界は存在しない。AIR編がなければ DREAM編は存在しない。そして、DREAM編という世界でなければ、往人は去ったまま、観鈴は死ぬ。 …はっきり言って、AIRという物語はどのように解釈しようが因果関係がメチャクチャだ。麻枝もわかってて敢えて物語としての設定構成を軽視し、印象的なシーンを作ることを重視してこのような話にしている。 プロの小説家である涼元も「普通ならこんなことはしない」とはっきり明言する。それはそうだろう、構成が矛盾している上に、その矛盾、つまりタイムパラドクスや平行世界の矛盾を物語として利用することもなく読み手に説明することもなく、単なる混乱を引き起こしているだけだからだ。 他にも、こんな解釈をたまに見かける。       ┌────────────→全く新しい世界   7/16 7/17 ───┬──┴────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編      7/17  ───────────────────→全く新しい世界   7/16 ───┬───────────────→DREAM編    │    └─────────→AIR編 ラストシーンはDREAM編でもAIR編でもなく、全く新しい世界なのだ、と。新しい世界だろうが何だろうが、観鈴が生まれながらにして神奈の呪いを引き継いでいる以上、 神奈の癇癪や呪いだけ除去できた転生なのだ、生まれながらにして観鈴は解放されているのだ、という解釈に至ってはもう何をかいわんやである。神奈の記憶の影響なしでは、観鈴は観鈴という人格を形成できはしない。普通の少女になるだけだ。7/17、堤防で座り込んで往人が起きるのを待つ必要などない。友達がいるのだから、7/31のように普通に遊んでいるだろう。往人など相手にせず。 そもそも観鈴がこの町に来たのは、呪いと癇癪のせいで友達ができないことを心配した父親に連れられてきたからだ。普通の少女ならば、父親と都会で暮らしていただろう。 そもそも観鈴が生まれたのは約16年前、少女は10年前といったところだ。16年前に

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