「Q16」(2006/05/15 (月) 00:44:30) の最新版変更点
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Q.癇癪って何だったの? AIR編で癇癪を起こさなくなるのはなぜ?
A.癇癪とは、神奈の観ている悪夢を「部分的に思い出しかける」こと。
>【観鈴】「どうして…みんな…わたしだけ…残して…」
>喉から振り絞るような声。感情を抑えることができないのだ。
これは29日夜、観鈴の癇癪の様子だが、これはSUMMERにおける下記の描写と重なっている。
>泣いているのは、神奈だった。
>【神奈】「なぜ…なぜにみな、余だけを…残して…」
観鈴が、悪夢の中の神奈と同じ言葉を吐く。自分の呼び方は「余」から「わたし」に変わり、「なぜ」も「どうして」となっていて、どうやら観鈴は普段の彼女通りの言葉遣いで語っていると分かる。
観鈴は神奈の夢を「自分の経験したこと」として見ていると思われる描写が度々ある。次の例のように、観鈴は夢を「わたし」という一人称で語る。
SEEN301.TXT
>【観鈴】「あのね、今朝の夢…」
>【観鈴】「わたし、ひとりぼっちで、閉じ込められてた」
>【観鈴】「淋しかった」
SEEN271.TXT
>【観鈴】「すぐ近くに、誰かが寄り添ってくれてた」
>【観鈴】「わたし、その人に『海って何だ?』って訊いた」
癇癪もまた同じことなのだろう。観鈴が泣いているとき、彼女は神奈の悪夢を「自分のこととして」思い出しかけている。
神奈の悪夢を、自分のこととして、部分的に思い出す。それが癇癪の正体だった。
----
逆にいえば「完全に思い出して」から以降、つまり観鈴が神奈の記憶を「自分のものとして」統合してからは、突発的な癇癪は起きないのではないか。代わりに、離別の悪夢に囚われる神奈の苦痛を常に「自分のこととして」感じなければならなくなるだろう。
その「完全に思い出した」と思われる出来事が、30日の朝に往人が観た夢だ。実際それ以降、観鈴の癇癪はなくなる。
DREAM、7/30朝に見た夢
>俺は空の下にいた。
>観鈴が側にいた。
>俺のことを見ている。
>涙がぼろぼろとこぼれている。
>夏の陽射しに溶けていく。
>それなのに、体が動かない。
>観鈴が、あんなに泣いているというのに…
>【観鈴】「往人さんっ」
これは7月30日冒頭の描写だが、往人の視点から描かれており、直後観鈴に起こされていることから、これは往人が観た夢だろうと推定できる。
そして、それはSUMMERにおける神奈の悪夢と描写が共通する。
SUMMER、神奈の悪夢
>夏だった。
>青々とした林の間を、なだらかに続く峠道。
>見上げれば、どこまでも飛んでゆけそうな空。
>道端に男が転がっている。
>背に受けた太刀の一撃が、致命傷になったらしい。
>だれかが泣きわめいている。
>二度とは目覚めない屍(かばね)に取りすがり、髪を振り乱して。
>泣いているのは、神奈だった。
>矢を受けてぼろぼろになった翼が、陽炎(かげろう)のようにゆらめいていた。
夏空の下、泣いている少女と、死んでいる男。
二つの夢の内容は重なっていつつも、主体が「柳也と神奈」ではなく「往人と観鈴」に入れ替わっている。このことから、どうやらこれらは単に神奈の悪夢というだけでなく、観鈴が神奈の記憶を「自分の前世の記憶として」思い出したのだろう、と推測できる。
夢の登場人物は神奈と柳也ではなく観鈴と往人であり、その片方の往人が夢に見たのであるから、もう片方の観鈴も同じ夢を見たと考えていいだろう。
----
30日の朝、観鈴は夢を観た。神奈の悪夢を、全て、自分のこととして。これは、今まで断片的に体験していた悪夢を、直接、体験したということだ。観鈴は神奈の悪夢を、自分の記憶として完全に思い出した。
完全に思い出したのであれば、それまでのように部分的に思い出すことなどなくなる。よってこれ以降、観鈴は突然泣き出すような癇癪は起こさなくなる。
代わりに、神奈の苦しみを常に何かにつけて、直接感じることになるだろう。
Q.癇癪って何だったの? AIR編で癇癪を起こさなくなるのはなぜ?
A.癇癪とは、神奈の観ている悪夢を「部分的に思い出しかける」こと。
>【観鈴】「どうして…みんな…わたしだけ…残して…」
>喉から振り絞るような声。感情を抑えることができないのだ。
これは29日夜、観鈴の癇癪の様子だが、これはSUMMERにおける下記の描写と重なっている。
>泣いているのは、神奈だった。
>【神奈】「なぜ…なぜにみな、余だけを…残して…」
観鈴が、悪夢の中の神奈と同じ言葉を吐く。自分の呼び方は「余」から「わたし」に変わり、「なぜ」も「どうして」となっていて、どうやら観鈴はいつも通りの言葉遣いだと分かる。
観鈴は神奈の夢を「自分の経験したこと」として見ていると思われる描写が度々ある。次の例のように、観鈴は夢を「わたし」という一人称で語る。
SEEN301.TXT
>【観鈴】「あのね、今朝の夢…」
>【観鈴】「わたし、ひとりぼっちで、閉じ込められてた」
>【観鈴】「淋しかった」
SEEN271.TXT
>【観鈴】「すぐ近くに、誰かが寄り添ってくれてた」
>【観鈴】「わたし、その人に『海って何だ?』って訊いた」
癇癪もまた同じことなのだろう。観鈴が泣いているとき、彼女は神奈の悪夢を「自分のこととして」思い出しかけている。
神奈の悪夢を、自分のこととして、部分的に思い出す。それが癇癪の正体だった。
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逆にいえば「完全に思い出して」から以降、つまり観鈴が神奈の記憶を「自分のものとして」統合してからは、突発的な癇癪は起きないのではないか。代わりに、離別の悪夢に囚われる神奈の苦痛を常に「自分のこととして」感じなければならなくなるだろう。
その「完全に思い出した」と思われる出来事が、30日の朝に往人が観た夢だ。実際それ以降、観鈴の癇癪はなくなる。
DREAM、7/30朝に見た夢
>俺は空の下にいた。
>観鈴が側にいた。
>俺のことを見ている。
>涙がぼろぼろとこぼれている。
>夏の陽射しに溶けていく。
>それなのに、体が動かない。
>観鈴が、あんなに泣いているというのに…
>【観鈴】「往人さんっ」
これは7月30日冒頭の描写だが、往人の視点から描かれており、直後観鈴に起こされていることから、これは往人が観た夢だろうと推定できる。
そして、それはSUMMERにおける神奈の悪夢と描写が共通する。
SUMMER、神奈の悪夢
>夏だった。
>青々とした林の間を、なだらかに続く峠道。
>見上げれば、どこまでも飛んでゆけそうな空。
>道端に男が転がっている。
>背に受けた太刀の一撃が、致命傷になったらしい。
>だれかが泣きわめいている。
>二度とは目覚めない屍(かばね)に取りすがり、髪を振り乱して。
>泣いているのは、神奈だった。
>矢を受けてぼろぼろになった翼が、陽炎(かげろう)のようにゆらめいていた。
夏空の下、泣いている少女と、死んでいる男。
二つの夢の内容は重なっていつつも、主体が「柳也と神奈」ではなく「往人と観鈴」に入れ替わっている。このことから、どうやらこれらは単に神奈の悪夢というだけでなく、観鈴が神奈の記憶を「自分の前世の記憶として」思い出したのだろう、と推測できる。
夢の登場人物は神奈と柳也ではなく観鈴と往人であり、その片方の往人が夢に見たのであるから、もう片方の観鈴も同じ夢を見たと考えていいだろう。
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30日の朝、観鈴は夢を観た。神奈の悪夢を、全て、自分のこととして。これは、今まで断片的に体験していた悪夢を、直接、体験したということだ。観鈴は神奈の悪夢を、自分の記憶として完全に思い出した。
完全に思い出したのであれば、それまでのように部分的に思い出すことなどなくなる。よってこれ以降、観鈴は突然泣き出すような癇癪は起こさなくなる。
代わりに、神奈の苦しみを常に何かにつけて、直接感じることになるだろう。
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