~第十八章~
 
 
初夏の風に揺れる木立のざわめきに、小鳥の囀りが混ざり合う。
長閑な雰囲気の中で、雛苺は竹箒を手に、境内の掃除をしていた。
この季節は、まだ掃除も楽だ。
秋ともなると落ち葉が酷くて、掃き集める側から、落ち葉が積もる有様だった。

もっとも、焚き火で作る焼き芋は、とても愉しみだったけれど。


 「雛苺、ちょっと来なさい」
 「うよ? はいなのー、お父さま」

竹箒を放り出すと、雛苺は小首を傾げながら、ペタペタと草履を鳴らして社殿に向かった。
どうしたのだろう? なんとなく、声の質が硬かったけれど……。
怒られる様なコト、したっけ?

 「お父さま~、何のご用なのー?」
 「おお、来たか。雛苺」

育ての父、結菱一葉は一通の書状を手に、硬い表情をしていた。
そう言えば、ついさっき……お城から早馬が来てたっけ。
雛苺の視線は、書状に釘付けとなった。

 「お手紙なのね。なんて書いてあるの、お父さま?」

興味津々で瞳を輝かせている雛苺に対して、一葉の表情が和らぐ事はなかった。
彼は、懐に書状をしまい込みながら、話を切り出した。

 「旅の支度をしなさい、雛苺」
 「……うよ?」
 「狼漸藩で、なにやら良くない事が起きたようだ。お前も、付いて来なさい」
 「わぁい! お出かけなのー!」

『良くない事』に深刻さを全く感じていないらしく、雛苺は陽気にはしゃいだ。
普段から、あまり遠出をする事がないので、余計に嬉しいのだろう。
けれど、一葉は雛苺の態度を、不謹慎だと叱ったりしなかった。
寧ろ、頼もしげな感すら有ったほどだ。
彼は狼漸藩の方角から押し寄せてくる何かの気配を、鋭敏に感じ取っていた。

 (今度の一件、雛苺には厳しいかもわからん。
  だが、この娘の陽の気が必要なのも、疑いない)

青々と木々が繁る稜線に遮られて、ここからでは狼漸藩の様子が全く判らない。
あの尾根まで登れば、なにか解るだろう。

 「うゆぅ~。お父さま……ヒナね、なんか凄ぉく気持ち悪いの~」

一葉の真似をして狼漸藩の方角を見ていた雛苺が、胸元に手を当てて呻いた。
ちょっと目を向けるだけで、強烈に邪気を感じ取ったらしい。
やはり、雛苺には強い能力が眠っているのだと、一葉は確信した。
長年の修行の末に開眼した自分と違って、才能を持って生まれてきたのだ……と。

 「出かけるのが辛いなら、此処に残っていても良いのだぞ」
 「……平気なの。お父さまと一緒に、お出かけするのっ」
 「ならば、急いで支度を済ませなさい」

促されて、雛苺は元気良く自室へと駆け出していった。
一身を賭して、雛苺を守り抜く。一葉の眼差しには、確たる意志が宿っていた。
 
 
 
 
――六人の犬士たちが柴崎老人の邸宅を後にして、早くも一日が過ぎようとしている。
暮れなずむ空を見上げながら、とぼとぼと歩く山道。
金糸雀の幼少時代、色々と面倒を見てくれた女性が、この近くの村に嫁いだと
聞いて、情報収集も兼ねて立ち寄ってみたのだが……。

 「ねえ、金糸雀ぁ。本当に、もうすぐ着くのぉ?」
 「う、うん……その筈、かしら」
 「その筈って、なんです! 適当で無責任なヤツですね、お前はっ!」

周囲は木々が生い茂り、見晴らしが悪い。
夜の帳が降り始めて、尚更、村の所在を確認する事が困難になっていた。

 「しゃ~ねぇです。私が先に行って、確かめてくるですぅ」

痺れを切らして走り出そうとした翠星石の手を、蒼星石が掴んだ。

 「ダメだよ、姉さん。まだ、傷も完治してないんだからね」
 「で、でも蒼星石。このままじゃ埒が開かねぇですぅ」
 「それでも、ダメだよ」  

手を離そうとせず、にっこりと微笑む蒼星石の気迫に圧されて、
翠星石は渋々と引き下がった。
下手に逆らおうものなら、鳩尾に当て身が飛んで来ること請け合いだ。
そうこうする内に、事態が進展を見せぬまま、辺りはどんどん暗くなっていく。

 「あう~。みんな、ごめんなさいっ! どうしよう~、困ったかしら」
 「心配ない……もうすぐ、着くから」
 「え? 貴女、知っていたの?! だったら最初から言いなさい!」 

声を荒げる真紅に、薔薇水晶は「訊かれなかったし」と呟いて、前方を指差した。
 
 
 
 
村に到着して、ちょっと探すと、金糸雀の知り合いは直ぐに見付かった。

 「あら! やだぁ、カナじゃないの! どおしたのよ~!」
 「ちょ……みっちゃん! ちょっと、待つ、かしらーっ!」

戸板を開けて顔を覗かせた女性は、金糸雀を見るや抱き付いて、頬ずりを始めた。
そんな二人の様子を、呆然と眺める五人の娘たち。
この人たち、一体どういう間柄だったのか……。

 「ねぇ……あの女の人、なんなのぉ?」
 「ま、まあ、なに? 浅からぬ仲だって事は、解ったのだわ」
 「……はっきり言えば……キチガもごもご」
 「はっきり言わねぇでいいです。お前はホントに、バカ水晶ですぅ」
 「姉さんも、そこまで明言しなくたって……」

みっちゃんと呼ばれた女性は、ひと頻り金糸雀を愛でると、五人に目を向けた。
眼鏡の奥で光る瞳は、次なる獲物を狙う猛禽のそれに似ていた。

 「ちょっとちょっと。カナぁ、この可愛い娘たちは誰ぇ?」
 「一緒に旅をしてる仲間かしら。山道を越えようとして、夜になったから」
 「ははぁん……それで、今夜は泊めて欲しいって言うのね?」
 「納屋でも構わないから、貸して頂けると助かるのだけど」
 「なに言ってるの! カナの知り合いなら、部屋に泊めてあげるわよっ」
 「でも、ボクたちが居たら、ご家族に迷惑なんじゃあ――」
 「だぁいじょうぶ。旦那は留守だし、子供もいないからぁ」

実は、独りで寂しかったのだろうか。みっちゃんは大喜びで、彼女たちを迎え入れた。
 
 
 
質素だが、温かな夕食を取った後――
みっちゃんの餌食になったのは、意外にも薔薇水晶だった。
どうやら、洒落た眼帯が、みっちゃんのツボにハマったらしい。
食後のお茶を飲みながら旅の話に耳を傾ける間、彼女は薔薇水晶の肩を抱き締め、
決して手放さなかったのだ。
薔薇水晶は露骨に嫌な顔をしたが、みっちゃんは一向、気にする様子がない。
他の娘たちも身代わりにはなりたくないらしく、頻りに頬ずりされる薔薇水晶に
同情の眼を向けつつ、笑いを堪えるばかりだった。
 
 
 
 
――そして就寝時間。

 「酷いよ……みんな……」

涙を浮かべて膝を抱える薔薇水晶の肩を、翠星石がバシバシと叩いた。

 「まあ、気にするなです、薔薇しぃ。人生、何事も経験ですぅ」
 「……だったら、翠ちゃんも……やられれば良かったのに」
 「わ、私は、頬ずりなんて経験済みだからいいです。ねぇ、蒼星石?」
 「知らないよっ! なんで、ボクに話を振るの!」

蒼星石は夜目にも判るくらい頬を染めると、寝転がって背を向けた。
その後も「まったく、姉さんは……」と、なにやらブツブツ言い続けていた。

 「それにしても、最後の貧乏クジは真紅だったわねぇ」
 「みっちゃん、昔っから寂しがりだから……」

就寝前、みっちゃんは真紅に、一緒の部屋で寝て欲しいと願い出たのだ。
たった一晩とは言え、ご厄介になる以上、無下に断る訳にはいかなかった。


なぜ、こんな状況になっているのか。
布団の中で、身を強張らせる真紅。枕を並べた、一組の布団。
これ即ち、同衾……と言うヤツである。
てっきり二組の布団を敷くものと思っていたが、勝手な思い込みだったらしい。

真紅はみっちゃんに背を向け、両手でしっかりと神剣を握りしめた。
金糸雀には悪いが、ちょっとでも変な真似をしたら、躊躇なく斬るつもりだった。

 「そんな物騒な物、布団に持ち込まなくてもいいじゃないの」
 「ここ、これは大切な剣だから、肌身離さず持つのは、と、と、当然なのだわ」
 「そぅお? 寝返り打った時とか、痛いでしょお?」
 「で、でも……」
 「せめて、枕元に置いておきなさいな」

確かに、みっちゃんの言う通りだった。
剣を抱えたままだと寝返りを打ち難いし、変に身体を乗せてしまうと、物凄く痛い。
第一、布団の中に持っていては掛け布団が邪魔して、即座に抜刀できないだろう。
枕元に置いておく方が、よっぽど瞬時に対応できる。

 (どうせ、穢れの者は神剣に触れないし――)

間違いが起きそうになったら、大声を出せば、みんなが駆けつけてくれる。
真紅は躊躇いがちに、神剣を枕元へ置いた。
それを見て、みっちゃんは、にへら……と、嫌らしい笑みを浮かべた。

 「うふふふふ…………手放したわねぇ、お間抜けさん」
 「えっ?」

みっちゃんは半身を起こすと、袖の中から、しゃっ……と短刀を抜き出した。
行燈の仄かな明かりに、みっちゃんの眼鏡が怪しく輝く。
逆手に握った短刀の刃が、ギラリと鋭い光を放った。

 「……っ! ……っ!?」
 「うふふふ。声が出ないでしょお? 身体だって、動かない筈よぅ?」

確かに、真紅の身体は全く動かなくなっていた。
ついさっきまで、なんでもなかったのに――
意識を集中して、全身に気を送っても、金縛りは解けない。
自分の身に何が起きているのか、全く把握できなかった。

 「神剣の加護がなければ、所詮は、普通の女の子。他愛ないわあ」
 「! …………っ!」
 「怖い目で睨んだってダぁ~メよぅ。
  めぐの放ったムカデの毒に、全身を蝕まれているんだから。
  ムカデの毒は、やがて貴女の心臓すらも麻痺させるわ。
  どお、怖い? 死ぬのが怖い?
  でも大丈夫よ。貴女がムカデの毒で死なずに済む方法は、ひとつだけ有るから」

勿体ぶった言い方をして、みっちゃんは真紅の顎を、ぐいと押し上げた。
狡猾そうな冷笑を浮かべて、真紅の顔を覗き込んでくる。

 「毒の恐怖から解放される、唯一の方法を――知りたい?」

みっちゃんは、真紅の耳元で、心底楽しそうに囁いた。

 「簡単なコトよぅ。毒が全身に回りきる前に、死んでしまえば良いの」 
 「っ!! っ!?!」
 「可哀相だから、お姉ちゃんが貴女を死の恐怖から解き放ってあげるわ。
  ゆっくり……そう、ゆっくりと殺してあげるから」

矛盾に満ちた言葉を吐いて、みっちゃんは真紅の喉に、軽く歯を立てた。
最初は、甘噛み……。
それから宣言どおりに、じわじわと……徐々に、顎の力を増していった。
このままでは気管を圧迫されて窒息するか、喉を食い千切られるか、二つにひとつ。

――なんとか、しないと。でも、どうすれば良いの?

全身を襲う痺れで、指一本を動かすことすら叶わない。
神剣を手放し、加護を受けなくなった途端、めぐの術に陥ってしまったなんて。

所詮、この程度でしかないのか。
真紅は自分の力の足りなさに、失望を禁じ得なかった。
【義】の御魂ひとつだけでは、四天王の術にすら満足に対抗できない……それが現実。
なんて、ちっぽけで、弱々しい存在なのだろう。

 (それでも、私は――)

やはり、みんなの御魂を集める気にはなれない。
そして勿論、こんなところで殺されるつもりも、断じて無い!

 (房姫……私の声が聞こえているなら……お願い! 力を貸してちょうだい!)

直後、真紅の身体が仄かな光に包み込まれる。法理衣が自発的に起動していた。
真紅の喉元で、ジュッ! と何かが焼ける音と、臭いがした。

 「ふぐあっ!」

真紅の喉に噛み付いていたみっちゃんは、両手で顔面を覆い、絶叫をあげた。
直ぐさま、襖が乱暴に開け放たれ、五人の娘が雪崩れ込んでくる。

 「真紅っ! 今の絶叫は何なのっ?!」
 「……これは、どういうつもりぃ? 悪ふざけにも程があるわよっ」

蒼星石と水銀燈が、素早く左右に分散する。
薔薇水晶が正面で二本の小太刀を構え、みっちゃんの背後には翠星石が回り込んだ。

 「金糸雀は、真紅の容態を診やがれですぅ!」
 「わ、解ったかしら!」

金糸雀は短筒の照準をみっちゃんに合わせつつ、真紅の元に駆け寄った。
身体が麻痺しているらしい。声も、出せないようだ。
真紅の喉に残る歯形を目にして、金糸雀は何をされたかを悟った。

 「誰なの、あなたは! 本物のみっちゃんは、こんな事しないかしら!」
 「ふふふ……あ~あ、残念。もう少し遊んでいたかったのに」

みっちゃんの輪郭が、徐に、ゆらりと波立つ。
そして、一瞬の後には、眼鏡を掛けた娘の姿に変貌していた。

 「お前は、のり!」
 「あら? 憶えててくれたのね、蒼星石ちゃん。お姉ちゃん、嬉しいわ」
 「いつもいつも、ふざけたヤツですぅ!」
 「みっちゃんは! みっちゃんを、どうしたかしらっ!」

金糸雀は、半狂乱になって、がなりたてた。
そんな彼女を、のりの冷たい視線が射抜き、冷水の様な笑みが吹きかけられた。

 「馬鹿ねえ。あんな女、とっくに食べちゃったに決まってるでしょお?
  この村の連中も、お姉ちゃんが一人残らず食らい尽くしてやったわ」
 「な……っ!」
 「なのに、貴女たちったら全然、気が付かないんだもの。
  お姉ちゃん、笑いを堪えるので大変だったんだから。あはははっ!」
 「この……外道めっ!」
 「んふふっ。あら嬉しい。蒼星石ちゃんから、最高の誉め言葉をもらっちゃったぁ」

四面楚歌であるにも拘わらず、のりは悠然と笑みを浮かべていた。
絶体絶命の危機に陥っていながら、何故、余裕綽々としているのか。
ハッタリか。それとも、まだ……何か罠を仕掛けているのか。

 「かかって来ないのぅ? つまんなぁい。こっちから仕掛けちゃおうかな」

言って、のりが指を鳴らした途端、轟々と四方の壁が燃え上がり、
八畳間は忽ち、焦炎地獄と化した。
幻覚などではなく、本物の炎だ。肌が、ちりちりと痛くなった。

 「これで、貴女たちは袋の鼠。このまま蒸し焼きにしてあげるわ」
 「その前に……お前を、殺せばいいだけ」

薔薇水晶は発動型防御装甲『圧鎧』を起動して、のりに斬りかかった。
 
 
 
 =第十九章につづく=
 
 

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最終更新:2006年05月14日 03:57