~第一章~
 
 
一口に探すと言っても、何処に向かえば良いのか、皆目見当が付かない。
旅支度を済ませたはいいが、さて、どうしようと悩んでいたところへ、
昨夜の声が語りかけてきた。
目を覚ましていたにも拘わらず……だ。
 
 
 
 
自らの内より発せられる声に導かれるまま、真紅は、とある村へ向かっていた。
この辺りは未だ、去年の大飢饉の無惨な痕を残している。
一見すると穏やかな田園風景だが、空気に、悲嘆や哀愁の情が満ち溢れていた。

 「もしかして……この気配は」

朝から歩き詰めだったため、木陰で旅の疲れを癒していた真紅は、
不意に我が身を襲った悪寒に、腕を掻き抱いた。
空を見上げると、俄に暗い雲が広がり始めていた。
ついさっきまで晴れていたのに、この急変は異常すぎる。
胸の奥底から、不安な影が頭を擡げ、沸き上がってきた。
退魔師の能力が、禍々しい気配を感知している。
得体の知れないモノに包み込まれる様な、不愉快な感覚。


 「どうにも慣れないものね……気色が悪いわ」

左手の甲にある痣が、籠手の下で焼けるように熱くなっている。
それは、真紅の不安を肯定する反応だった。

 「間違いないのだわ。この反応は……穢れの者!」

真紅は、巫女装束の袖をバサリと風に靡かせ、神剣『菖蒲』を引き抜いた。
穢れの者どもが連れてくる腐臭が、真紅の鼻腔を刺激する。
近い。もう……そこまで来ている。
 
 
がさっ!

頭上の枝が揺れたかと思った瞬間、穢れの者どもが奇声を発しながら飛び降りてきた。
足軽の格好をしているが、中身は骸骨である。数は……三匹。得物は、いずれも刀。
真紅は襲撃者の第一撃を躱しざま、端の一匹に斬りつけた。

真紅の斬撃を浴びて胴丸ごと両断され、骸骨は瞬く間に塵となって消えた。
息も吐かせぬ早業で、真紅は残る二匹も斬り伏せる。

 「他愛のない。所詮は、死に腐れた穢れどもね」

と、余裕めかして軽口を叩いたものの、真紅は状況が好転していないことを悟っていた。
まだ、第一派を撃退しただけ。痣の熱と疼きは、まだ収まっていない。
それどころか、更に熱くなっている。

真紅は木陰から飛び出して、路上に陣取った。
道の左側は、先程まで休んでいた森の際。右側には水田が迫っている。
足場の悪い水田を背にすることで、回り込まれる危険性を弱める狙いだった。
それに、枝が迫り出していない此処なら、先程のように、頭上から不意を衝かれる心配も無い。


空が泣き出し、大粒の雨が真紅の服を叩き始めた。
直後、森の中から、戦場を彷彿とさせる怒号が響いてきた。

 「来たわね。団体さんの、お出ましなのだわ」

漆黒の闇と化した森の奥から、長槍を構えた骸骨の群が押し寄せて来る。
総数は、計数不能。多勢に無勢である。
真紅は小さく舌打ちして、袖の中から呪符を抜き出した。
呪符と言っても紙ではない。心血を注いで打ち込んだ玉鋼に、
精霊と契約を交わす言霊を刻み込んだものだ。
あれだけの数を相手にするには、こちらも防御力を強化しなければならない。


 「法理衣!」

術を発動させるや、真紅の身体は赤い陽炎に包まれた。
これで、暫くは直接攻撃に耐えられる。
効果が持続している間に、穢れの者どもの包囲を突破、脱出せねばならない。
素早く周囲を見回し、手薄な部分を捜した。

 (後ろは水田……正面の敵中突破は有り得ない。となると、右か……左か)


田圃の細い畦道を行く手もある。
足場の悪さを利用すれば、追い付かれるまで、かなりの時間を稼げるだろう。
だが、一歩しくじれば、自分が足を取られてしまう危険があった。
それに、身を隠す場所のない所で、雨の如く矢を射られたら、躱しきるのは困難だ。

びゅっ! と、鋭く空を切る音。
目前に迫った足軽どもが、一斉に槍を突きだしてきたのだ。悠長に考えている暇など無い。
真紅は右へ飛んで、そのまま街道に沿って走り出した。
左脇の茂みから、刀を振り翳した骸骨が四つばかり、飛び出してくる。

 「邪魔よ。この死に損ないどもが」

赤い陽炎に包まれた神剣を一閃させた途端、四つの穢れは忽ち両断され、飛び散った。
散発的な攻撃なら、どうとでも対処できる。厄介なのは、数に物を言わせ、圧してきた時だ。
真紅ひとりでは、いずれ疲れて動けなくなってしまう。

走りながら、茂みの中を一瞥する。
そこには、矢を番えて弦を引き絞る穢れの者どもの姿が有った。
狙われているのは、自分。

 (っ! まずいのだわ)

雨足が強まる中で、無数の矢が真紅を目がけて放たれた。
瞳に飛び込んでくる雨粒に邪魔されながらも、真紅は薄目を開けて剣を振り、矢を叩き落とした。
何本か直撃を食らったが、法理衣のお陰で貫通はしていない。
しかし、身体に伝わる衝撃だけは中和しきれず、真紅の身体に打ち身と疲労を残していた。

矢継ぎ早に……の表現そのままに矢が放たれ、その度に、真紅は矢の直撃を浴びた。
赤い陽炎は、今や淡い桃色に変わっている。
法理衣の効果は、あと僅か。体力の消耗も激しい。

 (このままだと……長くは保たない)

一瞬の気力の乱れが、真紅から注意力を奪った。
空を裂いて飛んできた矢に左脇腹を直撃されて、真紅は息を詰まらせ、もんどり打った。
路上の泥濘に顔から突っ込んでしまい、泥水が口の中に流れ込んできた。

泥水を吐き出しながら、仰向けになって起きあがろうとする真紅。
その青い瞳には、刀を振り上げた骸骨が、今まさに自分を斬りつけんとする姿が映っていた。
無意気の内に息を呑んで、身を強張らせていた。
神剣を振り上げ、敵の刃を受け止めようなんて考えは、全く思い付かなかった。

 (ダメ……間に合わないっ!)

真紅は反射的に、ぎゅっ……と瞼を閉じた。


刀で固い物を叩き斬る音が真紅の耳に届いたのは、その直後だった。

斬られたのは、私?
怖々と目を開くと、真紅の前には、一人の剣士が背を向けて立っていた。
栗色の髪を短く刈り揃えた、凛々しい青年だった。

 「あ、あの……貴方は――」

真紅が素性を訊ねるより早く、剣士は穢れの群に切り込んでいった。
その闘いぶりは、正に獅子奮迅。
忽ちの内に、二、三十の穢れの者を斬り伏せていた。

なんて壮絶な殿方だろう。
思わず見惚れていた真紅の視界に、矢を番えた骸骨が飛び込んできた。
彼の背中に狙いを付けているのは、一目瞭然。

 「――っ! 危ないっ! 後ろよっ!」

真紅が叫んだ直後――
弓を引き絞っていた骸骨は、どこからか飛んできたクナイに刺し貫かれて消滅した。
クナイが飛んだ方角から見当を付けて凝視すると、木々の間を縫って走る影を捉えた。
あれは、忍びの者?

俊敏な影は、森の中を縦横無尽に走り回って、弓足軽を掃討していく。
何者かは知る由もないが、かなりの手練れである。
が、感心ばかりしてもいられない。まずは、この状況を打開するのが先だ。
真紅は気を取り直すと、立ち上がって、穢れの者たちを斬り捨てていった。

それから幾らも経たずに、穢れの群は、綺麗サッパリ消滅していた。
と言っても、壊滅させた訳ではない。
忍びの者が足軽大将を始末したから、穢れの群は統率を欠いて、遁走したのだ。
 
 
 
 
暗雲が途切れて、空には再び陽光が戻ってきた。
皐月の日射しに照らされ、雨に濡れて冷えた肌が温もりを取り戻していく。

 (漸く、終わった――)

へたへたと座り込んだ真紅の前に、麗人の剣士と、長髪の忍びが近付いてきた。
鳶色の長い髪を風に遊ばせ、歩み寄って来た忍びは、真紅と幾つも歳が違わないだろう若い娘だ。
それに、よく見れば、男性と思っていた剣士の方も――

 「怪我は無い? 危ないところだったね」
 「は? え、ええ」
 「お前は巫女のくせして、なかなか腕が立ちやがるですぅ」
 「はあ……どうも」

なんだか、やたらと友好的な二人。初対面なのに、馴れ馴れし過ぎはしないか?
とは言え……助けてもらった事に変わりはない。
泥だらけで見窄らしい格好を恥じらいながらも、真紅は座ったまま、二人に頭を下げた。

 「助太刀してくれて、本当にありがとう。助かったのだわ」
 
神妙な面持ちの真紅に対して、麗人の剣士と忍びの娘は、顔を見合わせて笑った。

 「気にすることねぇです。あいつらは、私たちにとっても敵ですから」
 「そうそう。だから、お礼なんて言わなくても良いよ」

剣士の娘は人懐っこい笑みを浮かべて、真紅に手を差し伸べた。

 「立てる?」
 「……別に、腰が抜けた訳じゃないのだわ」

言った後で、そんな必要などなかったと、真紅は気付いて赤面した。
これでは、腰を抜かしてますと白状してる様なものだ。

 「ふふふ……強がりなんだね。姉さんと、気が合うかも」
 「姉さん?」

問い返した真紅に、剣士の娘は隣に佇む忍びの娘を指差した。
なるほど、よく見れば、面差しが瓜二つである。左右逆だが、緋翠の瞳も共通した特徴だ。

 「ボクは蒼星石。彼女は双子の姉、翠星石。キミの名前は?」
 「私は…………真紅」
 「真紅、かぁ。なんだか情熱的で、良い名前ですぅ」

なんだろう、この和やかな雰囲気は。
さっきまで穢れの者どもと、命を賭けて闘っていたというのに。

 「……おかしな人たちね」

真紅はぎこちなく微笑みながら、腕を伸ばし、差し伸べられた蒼星石の左手を握った。
その瞬間、真紅の腕に電流が走った。静電気なんて生易しいものではない。
それは蒼星石も同じだったらしく、小さな悲鳴を上げて、二人は繋いだ手を離した。

今の衝撃は、一体なんだったのだろう?
蒼星石の悪戯で無いことは、彼女の驚愕ぶりからも分かった。
しかし、そうなると原因は全く判らない。

 (なにか、体質的な相性があるとでも?)

そんな話は、今まで聞いたことも、体験した事も無かった。
茫然と立ち尽くす蒼星石の手を、じいっ……と見詰める真紅。
眺めること暫し、真紅は、あることに気が付いた。

 (蒼星石と翠星石も、私と同様、左手の甲を隠しているのだわ)

真紅は、夢で聞いた言葉を思い出していた。


  ――運命を共有する七人の同志を探しなさい。すぐに解る筈です――


もしかしたら、この二人こそ、私の同志なのではないか?
試しに、翠星石とも左手を繋いでみたら、やはり電気が流れる様な衝撃が走った。
いくら双子の姉妹とはいえ、偶然にしては出来過ぎている。
一応、確かめてみた方が良いだろう。

 「貴女たち、もしかしたら……こんな痣があるんじゃない?」

真紅は籠手を外すと、二人の眼前に、左手の甲を突き出した。
内出血したかの様な青黒い痣は、神秘的な真円を描いている。

真紅の痣を見詰める蒼星石と翠星石の瞳には、明らかな動揺が見て取れた。
驚いた……と、二人は殆ど同時に呟いていた。
双子だからって、そんなところまで息を合わせなくてもいいのに。
真紅は微笑みながら、もう一度、二人に問い掛けた。

 「それとも、こんな醜い痣なんか、見たこと無かったかしら?」
 「見たことが無いどころか――」
 「産まれた時から、毎日、目にしてるですぅ」

二人は籠手を外して、露わになった左手の甲を、真紅に見せた。
形といい、大きさといい、真紅の青黒い痣と同じものだ。
三人の拳を近付けると、痣が熱を帯びて、何やら文字が浮かび上がってきた。
それは真紅にとって、初めて体験する現象だった。

 「これはっ!? まさか…………こんな事が?!」
 「驚いたですか? 無理もねぇです。私も最初はビックリして、死ぬかと思ったです」
 「そうだったねぇ。姉さんってば、もう泣いて喚いて大騒……痛っ!」
 「余計な事は言わねぇで良いのですぅ」

二人で掛け合い漫才をしている最中、真紅は三者三様の文字を見詰めていた。

 「私の【義】とは……」
 「ああ……それは、五常のひとつ。正しき道を示す者の証ですね。
  私の【悌】は、厚情……おもいやりの心を意味するですぅ」
 「そして、ボクの【信】は、誠実と真実を表しているんだ」

なるほど、確かに、あなた達はそんな関係なのかも知れない。
真紅は微笑ましい姉妹を眺めながら、文字の意味を噛み締めていた。

 「ところで、真紅。キミはこれから、何処に向かうつもりなの?」
 「え? ええ、と……」

不意に話題を振られて、真紅は返答に窮し、歯切れ悪く応じた。
同志とは言え、今日、初めて出会ったのだ。どこまで正直に話して良いものやら。
真紅が思案に暮れていると、間怠っこしそうに口を開いた。

 「あぁもう、鬱陶しい奴ですぅ!
  行く所が決まってねぇなら、取り敢えず、近くの町まで行きゃあ良いですっ」
 「うん、まあ……その方が良いかもね。キミ、泥だらけだし」

言われるまで、真紅はすっかり忘れていた。
巫女装束は元より、髪や足袋なども、泥だらけだ。
ふんだんに雨を吸った袴は、重い上に、脚に張り付いてきて気持ちが悪い。

 「そうしましょう。貴女たち、この辺りに土地勘は有るのかしら?」
 「少なくとも、お前よりは詳しいですぅ」
 「ちょっと距離があるけれど、今から向かえば、夕刻までには着けるよ」
 「ならば、直ぐに出発するわよ。いつまた、敵が襲撃してくるか分からないのだわ」

蒼星石は「そうだね」と呟くと、翠星石と目を合わせて、軽く肩を竦めた。
姉の方も、戦い疲れが出たのか、憂鬱そうに溜息を吐いた。

 「私たちも、つい最近になって、奴等に襲われだしたです。理由は解んねぇですけど」
 「ああ。それで、さっき『私たちにとっても敵』だと言っていたのね」
 「そう言うコト。その辺の事情は、歩きながら話すとしようよ」

蒼星石の提案に、真紅は頷き、神剣を両腕に抱えて歩き出した。
 
 
 
 =第二章につづく=
 
 

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最終更新:2006年04月28日 23:57