もしかしたら、彼――槐は父の消息を知っているかもしれない。
そう思うと、真紅は気もそぞろで、矢も楯もたまらなくなった。
車長席に座って、ペリスコープを覗き込んでいても、忙しなく揺れる爪先が止まることはない。
無意識の内に、彼女の焦燥が、動作となって表れているのだった。

当初の行軍予定は、想定外の事態により、かなりの遅れをきたしている。
本来ならば、脇目もふらず、ワルシャワを目指さなければならないところだ。
なのだが……。

「どぉしたの、真紅ぅ?」
「ひあっ?!」

物思いに耽っていたところへ、思いがけず間近で水銀燈に話しかけられて、
真紅は珍妙な声を出した挙げ句、危うく車長席からズリ落ちそうになった。
車内に、娘たちの陽気な笑い声が広がる。
赤面した真紅も、気恥ずかしさを誤魔化すように、口元を引きつらせた。


ひと頻り笑いの輪が広がった後で、やはり、水銀燈が真っ先に口を開いた。

「真紅ぅ……貴女、槐って人のところへ行きたいんでしょぉ?
 隠したって無駄よ。おばかさんの考えなんか、全てお見通しなんだからぁ」 
「水くさいよ、真紅。ボク達は一蓮托生。みんな、キミの意志を尊重するつもりさ」


車内無線を通じて、三人のやりとりを聞いていた金糸雀と翠星石の声が、真紅の耳に届く。

「そのとおりよ、真紅。カナ達に気遣いなんて無用かしら」
「どーせ遅刻ついでです。一時間くらい寄り道したって変わりねぇですよ」
「貴女たち……」

その発言は、若い娘にありがちな認識の甘さに溢れていた。
根っからの職業軍人ではないどころか、訓練すらロクに受けていない彼女たちが、
軍規の厳しさなど知っていよう筈がない。
真紅ですら、父が軍事機密に関わっていたと言うだけで、元は普通の女の子だった。
戦える者が不足していたこと――
そして、父の置き土産であるティーガーⅢを人手に渡すことを頑なに拒んだ結果が、
軍属に身を窶した理由だ。決して、好きで戦場に来た訳ではない。

仲間の娘たちも、同じ心境だった。本当は、怖い。戦いたくなんてない。
死と隣り合わせの毎日に神経をすり減らして、燃えカスのように死んでいきたくはなかった。
さりとて、傍若無人な自動人形どもに嬲り殺されることは、乙女の潔癖さが許さない。
屈辱の烙印を押されるくらいなら、力尽きるまで戦って、闘って、敵を斃してやる。
それが、人生を切り開くということだと、彼女たちは悟っていた。


全ては、幸せを受け入れるための準備……。
たとえ今日がどれほど酷い日でも、明日は夢みるような幸福が舞い込むかも知れない。
だからこそ、泣き言を並べ立てる暇があるなら、生き延びる努力をすべきだった。
死んでしまったら、甘い果実を味わうことも出来ないのだから。


けれど、彼女たちの敵は、自動人形ばかりではない。

「貴女たちの気持ちは、とても嬉しいわ。だけど……軍規を乱すことはできない。
 軍属である以上、身勝手な行動は許されないのよ」

かつては敵対していた者たちが、利害の一致で結びついた、寄せ集め――
それが、彼女たちが属する、ドイツ国防軍という名前のみの敗残軍だった。
しかし、形骸化したとは言え、軍隊の体面を保つために軍規は定められているし、憲兵だっている。
正統な理由のない遅延は、利敵行為と見なされ、処断されかねないのだ。
敵の手にかかるにせよ、味方の手で裁かれるにせよ、
かけがえのない仲間に危害が及ぶことは、真紅にとって耐え難い苦痛だった。

「まずは、次の作戦に専念しましょう。
 ワルシャワでの戦闘を終えて、それから引き返してくればいいわ」

真紅は、これで良いのだと胸の内で自分に言い聞かせて、決然と顔を上げた。
防衛線を固めることこそが、最優先事項なのだから。
車内に漂う、不完全燃焼のような空気。真紅以外の誰もが、釈然としない面持ちだった。
彼女はそれを無視して、双眼鏡を手に、前方を見据える。
しかし、60秒と経たない内に――

「ばっかじゃないのぉ?」
やおら足元で発せられた嘲りに、真紅が目元から、双眼鏡を離す。
声の主は、紅い瞳に鋭い光を宿して、真紅の胸元に掴みかかった。
そして、力任せに車長席から引きずり降ろし、ぐいと顔を近付けてきた。


「物わかりのいいフリしてんじゃないわよぉ。未練たらたらのクセに。
 なぁに? 私たちに、この戦車は任せられないとでも言うのぉ?
 随分と、バカにしてくれるわねぇ」

水銀燈の口調は、あくまで氷のように冷静で、波風ひとつ無いように思える。
けれど、その場に居合わせた蒼星石には、彼女の激しい気迫が、ひしひしと伝わっていた。
気丈な真紅でさえ、水銀燈の剣幕に気圧されて、返す言葉を喉元に詰まらせている。
反論しないことが余計に苛立ちを募らせるのか、水銀燈の怒気は衰えなかった。
まるで火に油を注いだように、押し殺した低い声で、捲し立てた。

「真紅なんか居なくたって、私たちは戦えるわよ。 
 この戦車を動かし、敵を見付けて、大砲を撃って、どんな敵でも粉砕してみせるわ。
 貴女みたいに、うじうじと悩んでる人に指揮される方が、寧ろ迷惑なのよねぇ」
「……ご、ごめんなさい」

珍しく、おろおろと謝る真紅の瞳を、水銀燈は蔑みの眼で睨み続けた。
そして彼女は、突き飛ばすように、真紅の胸倉を手放した。
蹌踉めいて、蒼星石に背中を支えられた真紅の鼻先に、水銀燈の人差し指が突き付けられる。

「真紅ぅ……貴女は、もう用済みよ。車長は、蒼星石に任せるからぁ」
「で、でも――」
「つべこべ言わずに、邪魔者は戦車を降りなさい!」


解ったわね。と念押しした水銀燈は、それっきり、真紅には目もくれなかった。
キューポラに上がるとハッチを開いて、身を乗り出し、誰かと話をしていた。
あのベジータという青年に、戦車兵の経験がある者の有無を訊ねているのだろう。

(ごめんなさい、みんな。そして…………ありがとう、水銀燈)

彼女は、不甲斐ない自分を送り出そうとしてくれている。
仲間たちの想いを痛いほど感じて、真紅は胸の内で、そっと感謝した。



ティーガーⅢのシルエットが遠ざかり、闇に溶け込んでいく。
真紅は道の中央に立って、道中の無事を祈りながら見送っていた。
彼女の隣に佇んでいるのは、桜田ジュン。
水銀燈は、彼を“整備士”兼“装填手”として搭乗させる目論見だったのだが、
有能な技術者であるジュンは、槐の工房ですべき事があった。
そこで、武器の扱いに長けたベジータが、やむなく選抜されたのだ。

「……真紅」

呼ぶ声は、月明かりのように柔らかく、どこか儚げだった。
彼女に掛けられた声は、ジュンとは別の人物が発したものだ。
廃墟の片隅を占めていた闇から進み出てくる、金髪の青年。
その後ろには、彼の背後を守るようにして、若い娘が一人、付き従っている。
彼女の左眼を飾る紫の眼帯が、夜の中でもヤケに異彩を放っていた。


「よく来てくれた、真紅。それに、桜田くんも……無事に戻ってこられて何よりだ」
「先生こそ、無事で良かった。頼まれてた品は、なんとか揃えてきました」
「本当に、ご苦労だったね。報告は、あとで聞かせてもらうよ。
 さあ、君を待っている人の所に行って、元気な顔を見せてくると良い。
 薔薇水晶、他の方たちを、地下壕に案内しておいてくれ」
「はい……お父様」

ジュンと薔薇水晶は軽く会釈すると、思い思いの方角に立ち去った。
残された金髪の青年と真紅は、向かい合って、表情を和らげる。

「槐さん……ご無沙汰していたわ」
「それは、僕のセリフだよ。
 君のお父上が失踪してから、何の連絡もせずに隠れていたことを、許して欲しい」
「気にしていないと言えば嘘になるけれど、恨んではいないわ。本当よ。
 槐さんにも、よっぽどの理由が有ったのでしょう?」
「まあ、ね。とにかく、立ち話も無粋というものだ。中に入ろう」

槐に促され、廃墟の狭い入り口から、瓦礫の中に踏み込んだ。
崩落した家屋の間を縫って進み、瓦礫の隙間に潜り込んで、やっと地下へと続く隠し階段に着いた。
だが、階段を下りても、今度は幾重にも連なる鉄扉が待ちかまえていた。

「案内がなければ、辿り着けそうもないわね」

真紅の半ば呆れたような感声に、槐の含み笑いが続いた。


「そうでなければ、隠れ家とは呼べないよ」
「……まあね。でも、ただ隠れ住むだけの場所にしては、大袈裟すぎない?」
「工房も兼ねているからね。研究設備も、あらかた整えた。
 僕は今でも、次世代のエネルギー源を開発するため……RM計画を継続しているのだよ」
「お父様と貴方が主任となって、進めていた極秘プロジェクトね」

槐は歩きながら、無言で頷く。

「45年初頭、我が師ローゼンは、ローザミスティカという物質の精錬に成功した。
 僕は師と共にRM動力機関のプロトタイプを設計し、作り上げたんだ。
 君らが乗ってきたティーガーⅢの動力が、それだよ」
「私には『電力を増幅して、より大きな動力を得ている』くらいしか、解らないわ」
「それで充分さ。道具を扱う度に、その原理を考える者など居ないだろう?」

言って、槐はとある重厚な鉄扉を開き「入りたまえ」と、真紅を促した。
彼女が招き入れられた部屋は、どうやら槐の執務室らしかった。
膨大な資料や、試作の器具みたいな物で溢れ、服などの生活品が殆ど見当たらなかったからだ。
彼は、申し訳程度に置かれた小さなソファを、真紅に勧めた。
こくんと頷いた彼女が腰を降ろすのを見届けて、槐が口を開く。

「君がここを訪れた理由は、師ローゼンの行方を、僕が知っていると思ったからだろう?」
「……ええ。貴方は、お父様の共同研究者だもの。
 なにか、本当に些細なことでも構わないから、教えてちょうだい。
 お父様は、ローザミスティカの精錬成功の直後、失踪したわ。それは、何故?
 人類の未来を支えるだろう功績を、独り占めしたかったから?」


そう訊ねたものの、真紅は、父がそんな下賤な男だとは思っていなかった。
きっと、何か考えがあって、RM計画の成果を持ち去ったのだ。
でも――――何のために、全人類に宣戦を布告したのかが解らない。


  なぜ? 何故? ナゼ?


真紅は表情を強張らせて、食い入るように槐を見つめた。
対して、槐は「君の期待に応えられるか分からないが――」と、前置くと、
執務机の椅子に、深々と身を沈めた。

「率直に言うと、師ローゼンの失踪については、僕も詳細を知らない。
 ただ、RM計画と対をなすLM計画が、少なからず影響していたとは思う。
 なぜなら、LM計画の主任、コリンヌ=フォッセー博士も、師と同時期に姿を消したのだからね」

コリンヌ=フォッセーという学者の名には、漠然とだが、聞き覚えがあった。
しかし、LM計画については、全くの初耳だった。
RMとLM――Recht(右)に対するLink(左)の頭文字を当てたのだろうか。


真紅は固唾を呑みこむと、膝を乗り出して、槐の言葉に耳を傾けた。

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最終更新:2006年12月13日 02:54